【「たとえ話」の落とし穴】 [コラム集 「TAWAGOTO」]
「たとえ話」って、聞く機会が結構あると思います。
プレゼンをしたり、部下を教育したり、セールストークをしたり、そんな局面で話をする側がより理解を深めてもらうため興味をひかせるための一種の「話法」というかテクニックだと思います。
私自身、会社でよく使っていたりします。まぁ、あまり上手ではないのですが…。
このブログでも使っていると思います。
自分の言っていることを何とか理解して欲しいって思ったときに使う場合が多いのではないかと思います。
ただ‥‥
聞く側に回った場合『ちょっとこの「たとえ話」、話す側に都合よく使われ過ぎだな。』、って思う時があります。
例えば…
いきなりたとえ話ですね(^_^;)
「今持っている考え方を捨ててから新しい考え方を取り入れないといけない」
ということを伝えるために、こんな「たとえ話」をしたとします。
「まず自分の器の中にある水を捨てなさい。そうでないと私がその器に湯を注いだところで、それはぬるま湯にしかならない」
しっくりこないわけでもありません。
確かに古い考えで薄まって新しい考え方の効果が薄まっちゃうなって感じで。
でも持っている水に関しての議論ならば、沢山のたとえ話ができます。
例えば…
『自分の器の水とは、今まで集めてきたたくさんの経験豊富なミネラルを含んでいる。もったいないから簡単に捨ててはいけないんだよ。』
なんて、たとえ話もできるかもしれません。
『水はこうあるべきだ』という理論を本論に当てはめる場合にそもそも『水ってそうあるべきなのか?』って考える暇もなく『自分の器にある水は捨てるのがベスト』という前提から始まっていますが、実際は『ミネラル豊富な水を捨てるのはもったいない』という考えもあるわけで本当に『今持っている考え方を捨ててから新しい考えを取り入れるべき』という考えの補強になっているのか?ということに注目してみることが大事かと思います。
たとえ話は「ある結論」に誘導するのには便利なツールかもしれませんが、聞く側に回ったら、結構ツッコミどころ満載だったりします。
会社の上司にそこでツッコミを入れたら、叱られるか「こいつ扱いにくい奴なだ…」って嫌われるだけですからやめておいた方が無難でしょうが、心の中では『便利に誘導されない』様に気をつけた方がいいかもしれません。
矢継ぎ早に「うん」と言い易そうなたとえ話をされると反論できなくなりそうですが、たとえ話で話をそらされず、本論である『新しい考え方を取り入れる時には今持っている考え方を捨ててからにすべきか否か?』に意識を集中して判断をすべきでしょう。
たとえ話には『本論の論旨を補強する効果』があります。
1個の話より、同様の話が2個、3個と続けば、『なるほどな』って、頷いちゃうかもしれません。
でも、その「たとえ」って、『話す側の都合で選ばれてきたもの』で話す側の言いたいことをわかりやすくするということ以外に話す側の主張に『うん』と言いやすいように、選別されて、加工されているということに注意が必要です。
しかも、その『たとえ』そのものが『大した裏づけの無い話』だったり、客観的な視点の欠けている前提を必要としている場合も往々にしてあります。
私は諺(ことわざ)にも同じような印象を受けます。
先人の知恵の宝庫とも言えますので諺って馬鹿にできないと大人になって思うことしばしばですが、その反面、大抵の諺には、完全に真逆とは言えないまでも、反対のことを言っているものもあるような気がします。
たとえ話で説明された話はできるだけその比喩がなくても理解できるようにしたいと考えます。
話し上手の人は比喩も上手な方が多い気がします。
信用できる人がこちらの無知を補って下さるように上手な比喩を用いて話してくれる場合にはありがたくお話を聞けるとは思うのですが、例えば、政治家が都合のいい比喩でも持ち出してきたなら、私はちょっと身構える感じで「うまく丸め込まれないようにしないと…」っていうような気になります。
プレゼンをしたり、部下を教育したり、セールストークをしたり、そんな局面で話をする側がより理解を深めてもらうため興味をひかせるための一種の「話法」というかテクニックだと思います。
私自身、会社でよく使っていたりします。まぁ、あまり上手ではないのですが…。
このブログでも使っていると思います。
自分の言っていることを何とか理解して欲しいって思ったときに使う場合が多いのではないかと思います。
ただ‥‥
聞く側に回った場合『ちょっとこの「たとえ話」、話す側に都合よく使われ過ぎだな。』、って思う時があります。
例えば…
いきなりたとえ話ですね(^_^;)
「今持っている考え方を捨ててから新しい考え方を取り入れないといけない」
ということを伝えるために、こんな「たとえ話」をしたとします。
「まず自分の器の中にある水を捨てなさい。そうでないと私がその器に湯を注いだところで、それはぬるま湯にしかならない」
しっくりこないわけでもありません。
確かに古い考えで薄まって新しい考え方の効果が薄まっちゃうなって感じで。
でも持っている水に関しての議論ならば、沢山のたとえ話ができます。
例えば…
『自分の器の水とは、今まで集めてきたたくさんの経験豊富なミネラルを含んでいる。もったいないから簡単に捨ててはいけないんだよ。』
なんて、たとえ話もできるかもしれません。
『水はこうあるべきだ』という理論を本論に当てはめる場合にそもそも『水ってそうあるべきなのか?』って考える暇もなく『自分の器にある水は捨てるのがベスト』という前提から始まっていますが、実際は『ミネラル豊富な水を捨てるのはもったいない』という考えもあるわけで本当に『今持っている考え方を捨ててから新しい考えを取り入れるべき』という考えの補強になっているのか?ということに注目してみることが大事かと思います。
たとえ話は「ある結論」に誘導するのには便利なツールかもしれませんが、聞く側に回ったら、結構ツッコミどころ満載だったりします。
会社の上司にそこでツッコミを入れたら、叱られるか「こいつ扱いにくい奴なだ…」って嫌われるだけですからやめておいた方が無難でしょうが、心の中では『便利に誘導されない』様に気をつけた方がいいかもしれません。
矢継ぎ早に「うん」と言い易そうなたとえ話をされると反論できなくなりそうですが、たとえ話で話をそらされず、本論である『新しい考え方を取り入れる時には今持っている考え方を捨ててからにすべきか否か?』に意識を集中して判断をすべきでしょう。
たとえ話には『本論の論旨を補強する効果』があります。
1個の話より、同様の話が2個、3個と続けば、『なるほどな』って、頷いちゃうかもしれません。
でも、その「たとえ」って、『話す側の都合で選ばれてきたもの』で話す側の言いたいことをわかりやすくするということ以外に話す側の主張に『うん』と言いやすいように、選別されて、加工されているということに注意が必要です。
しかも、その『たとえ』そのものが『大した裏づけの無い話』だったり、客観的な視点の欠けている前提を必要としている場合も往々にしてあります。
私は諺(ことわざ)にも同じような印象を受けます。
先人の知恵の宝庫とも言えますので諺って馬鹿にできないと大人になって思うことしばしばですが、その反面、大抵の諺には、完全に真逆とは言えないまでも、反対のことを言っているものもあるような気がします。
たとえ話で説明された話はできるだけその比喩がなくても理解できるようにしたいと考えます。
話し上手の人は比喩も上手な方が多い気がします。
信用できる人がこちらの無知を補って下さるように上手な比喩を用いて話してくれる場合にはありがたくお話を聞けるとは思うのですが、例えば、政治家が都合のいい比喩でも持ち出してきたなら、私はちょっと身構える感じで「うまく丸め込まれないようにしないと…」っていうような気になります。
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【五感で感じられないという不安 放射線を感じる「第七感」を磨けるか?】 [コラム集 「TAWAGOTO」]
家庭で使う無臭のガスにわざと臭いをつけてガス漏れを発見し易くしているという話はご存知の方も多いと思います。
ガスとは違い放射線は目にも見えず、臭いもせず、人間の五感ではその存在がわからないことが不安にさせるのだと思います。
そもそも放射線というのは自然界に存在しているそうですね。
それら自然界に存在する放射線に『色』や『臭い』をつけるのは無理な話かもしれません。
でも発電所や研究施設で発生する『人工的な放射線』なら『色』とか『臭い』とかつけられないかな?って思います。
でもガスは少しでも漏れたら元栓を閉めて各自がその発生源をコントロールできますが、放射線の場合は個人が発生源をコントロールできないので日本中が大騒ぎになってしまうかもしれませんね。
高度経済成長の日本は経済を優先し公害が多発した時代でした。
あの頃は煙突から上がる明らかに体に悪そうな「煙」という『視覚』を感じることができましたが放射線に関しては本当に五感が役に立ちません。
我が家でも一時期、放射線カウンターを購入しようかとも思いましたが、結局買わずに現在に至っています。
私は、「3.11の地震」の時に国に対して「最も大事な情報を出し惜しみ」していると感じていました。
あの時は本当に「自分の身は自分で守るしかない」と考えていましたので、いつでも「身ひとつ」で家族とともに避難する覚悟をしていました。
妻の妹は実家で両親と暮らしていますが、当時、家じゅうの窓を厳重に「目張り」して家族喧嘩の原因になっていたようです。
そんな大地震の後の非常事態が少しづつ日常に戻っていきました。
妻の洗濯も部屋干しからベランダに干すようになり雨にあたってもなんとも感じなくなり、放射線量のモニタをすることもしなくなりました。
浴びただけで死に至るほどの放射線を浴びてしまうのは大変なことですが、その危険は少なくとも東京では無いように感じます。
ただ放射線は長期に渡る期間での蓄積に伴う影響も重要なことです。
「蓄積に伴う影響」については、あまり突き詰めて考えていません。
積極的に同意しているとも思ってはいないのですが、結局は国が言う「安全です」という話を信じているということなのかなとも思っています。
>今日、明日、というレベルの話でなくなった途端に「自分の身は自分で守るしかない」という意識が薄らいでしまうのですね。
もっと知識を高めていかないといけないと反省です。
『五感』は、
素敵な絵画を鑑賞して情緒を高めたり、
⇒ 【フェルメールが上野にやってきた ~真珠の耳飾りの少女~ 】
⇒ 【行ってきました!ルーヴル美術館展の感想と観賞情報お伝えします】
魂の鼓動を感じるような音楽を楽しんだり、
⇒ 【テレキャスターは、ブルース・スプリングスティーンの体の一部だ!】
⇒ 【PVも音楽も素敵なおススメ洋楽トップ10 作業を邪魔される作業用BGM10選】
⇒ 【南米エクアドルのアンデス民族音楽バンド RAYMISのコンサートに魅了】
おいしい料理に舌鼓を打ったり、
⇒ 【横田基地「西洋食堂Fucchá」でお祝い 気さくなフレンチはこんな食事です】
⇒ 【水の音が聞こえるテラスでお茶を…黒茶屋の自然満喫茶】
と欲望を満足するためのものだったりもしますが、生物として危険を察知するという機能が最も大事な役割だと思います。
私は子供時代、食卓に上る数々の料理に対して嗅覚によっておなかを壊すことを未然に防ぐことができました。
盲目の人は視覚がない分、聴覚に対する注意力が研ぎ澄まされたり、「気配を感じること」に敏感になっていったりするということを聞いたことがあります。
「五感」で感じられない危険に対しては、『他の感覚』を研ぎ澄ます必要があるのかもしれませんね。
五感に代わる、その次の感覚とすると『第六感』になりますが、それでは「ヤマ勘」になってしまうので『第七感』とでも命名しましょうか…
知識を増やすとか必要な対象をよくモニタリングするとか…。
ちょっと、『第七感』を研ぎ澄ますこと、できることから始めよう…。
ガスとは違い放射線は目にも見えず、臭いもせず、人間の五感ではその存在がわからないことが不安にさせるのだと思います。
そもそも放射線というのは自然界に存在しているそうですね。
それら自然界に存在する放射線に『色』や『臭い』をつけるのは無理な話かもしれません。
でも発電所や研究施設で発生する『人工的な放射線』なら『色』とか『臭い』とかつけられないかな?って思います。
でもガスは少しでも漏れたら元栓を閉めて各自がその発生源をコントロールできますが、放射線の場合は個人が発生源をコントロールできないので日本中が大騒ぎになってしまうかもしれませんね。
高度経済成長の日本は経済を優先し公害が多発した時代でした。
あの頃は煙突から上がる明らかに体に悪そうな「煙」という『視覚』を感じることができましたが放射線に関しては本当に五感が役に立ちません。
我が家でも一時期、放射線カウンターを購入しようかとも思いましたが、結局買わずに現在に至っています。
私は、「3.11の地震」の時に国に対して「最も大事な情報を出し惜しみ」していると感じていました。
あの時は本当に「自分の身は自分で守るしかない」と考えていましたので、いつでも「身ひとつ」で家族とともに避難する覚悟をしていました。
妻の妹は実家で両親と暮らしていますが、当時、家じゅうの窓を厳重に「目張り」して家族喧嘩の原因になっていたようです。
そんな大地震の後の非常事態が少しづつ日常に戻っていきました。
妻の洗濯も部屋干しからベランダに干すようになり雨にあたってもなんとも感じなくなり、放射線量のモニタをすることもしなくなりました。
浴びただけで死に至るほどの放射線を浴びてしまうのは大変なことですが、その危険は少なくとも東京では無いように感じます。
ただ放射線は長期に渡る期間での蓄積に伴う影響も重要なことです。
「蓄積に伴う影響」については、あまり突き詰めて考えていません。
積極的に同意しているとも思ってはいないのですが、結局は国が言う「安全です」という話を信じているということなのかなとも思っています。
>今日、明日、というレベルの話でなくなった途端に「自分の身は自分で守るしかない」という意識が薄らいでしまうのですね。
もっと知識を高めていかないといけないと反省です。
『五感』は、
素敵な絵画を鑑賞して情緒を高めたり、
⇒ 【フェルメールが上野にやってきた ~真珠の耳飾りの少女~ 】
⇒ 【行ってきました!ルーヴル美術館展の感想と観賞情報お伝えします】
魂の鼓動を感じるような音楽を楽しんだり、
⇒ 【テレキャスターは、ブルース・スプリングスティーンの体の一部だ!】
⇒ 【PVも音楽も素敵なおススメ洋楽トップ10 作業を邪魔される作業用BGM10選】
⇒ 【南米エクアドルのアンデス民族音楽バンド RAYMISのコンサートに魅了】
おいしい料理に舌鼓を打ったり、
⇒ 【横田基地「西洋食堂Fucchá」でお祝い 気さくなフレンチはこんな食事です】
⇒ 【水の音が聞こえるテラスでお茶を…黒茶屋の自然満喫茶】
と欲望を満足するためのものだったりもしますが、生物として危険を察知するという機能が最も大事な役割だと思います。
私は子供時代、食卓に上る数々の料理に対して嗅覚によっておなかを壊すことを未然に防ぐことができました。
盲目の人は視覚がない分、聴覚に対する注意力が研ぎ澄まされたり、「気配を感じること」に敏感になっていったりするということを聞いたことがあります。
「五感」で感じられない危険に対しては、『他の感覚』を研ぎ澄ます必要があるのかもしれませんね。
五感に代わる、その次の感覚とすると『第六感』になりますが、それでは「ヤマ勘」になってしまうので『第七感』とでも命名しましょうか…
知識を増やすとか必要な対象をよくモニタリングするとか…。
ちょっと、『第七感』を研ぎ澄ますこと、できることから始めよう…。
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【迷惑メールで楽しんでみる】 [コラム集 「TAWAGOTO」]
皆さんは迷惑メール対策はどの様にされていますでしょうか?
私は、ある有名なブロガー紹介の別の方のサイトにある動画をダウンロードするために会員登録をした時を境に怒涛の迷惑メール攻撃を受けるようになりました。
いろいろ対策があるのかもしれませんが、細かな設定方法を調べるのが面倒なため、
とりあえずSPAMのフィルタリングをしたのですが、
そんなことぐらいでは怒涛の波状攻撃の前では無力のようです。
何もしないと大変なので今は受信したごとに「受信拒否アドレス登録」をシコシコやっています。
メーラーを1週間ぐらい開かない時があるのですが山のようなメールが届いていて、これが結構気が滅入ります。
今日久々にメーラーを開いたら迷惑メールが2000通を超えており一気に整理しました。
何だかメールの整理作業が終わると達成感が味わえるくらいです。
「迷惑メールフォルダ」に貯まったメールを一気に削除するのが最後の作業なのですが、こんなに苦労したんだから少しは何かの役にたってもらいたいと考えました。
ブログネタにでもしようかと思い面白いタイトルのメールでもチェキラッチョ!
迷惑メールは大別すると…
(1)ア〇ルト系
ひとくちにアダルト系といっても結構いろいろなパターンがあるようですね。
タイトルが凝っているのは圧倒的にこのジャンルですが、さすがにブログで紹介できないものばかりですね
(^_^;)
(2)投資・金儲け系
これも「え?こんなのに釣られてしまう人っているの?」っていうくらいバカバカしいのが多くアダルト系と双璧で送られてくる量が多いです。
(3)ノウハウ系
いろんなノウハウなどを教えてくれるものです。
私は男性ですのであまり来ませんが、女性の場合はダイエットとか美容などはすごいんでしょうね。
では実際のタイトルを見てみましょう。
『いつもの「アレ」につきまして』
…金儲け系サイトの告知
はい、「アレ」ですね。
え? (;´Д`)
『近くのツタヤで会えまませんか?(#^.^#)』
…アダルト系サイト誘導
ツタヤの出店網のすごさがわかりますね。
迷惑メールからマーケティングが見えてくる?
(笑)
『アイツからメールが来ない!』
…恋愛指南系メルマガ?
ハイ、私は迷惑メールと業務連絡メールとDMしか来ませんけど何か?
『カツラ、植毛、育毛剤に頼らず…“自然に誰にも気づかれず”、髪を蘇らせる方法!』
…薄毛対策
良く知ってますね?私のこの状況…
(*_*)
誰にも気づかれずに増やすことが無理なほど「全盛期」との乖離が著しい薄毛になっちゃっている私でも大丈夫?
『しつこいですよね・・すみません・・でも読んでくださいね。』
…アダルト系サイト誘導
一応、わかっていはいるんだな…。
(-"-)
『若くはありません。』
…アダルト系サイト誘導
私もですから、大丈夫ですよ。
(;_;)/~~~
『「当たる」のではなく「当てる」のです。』
…ロトシックス予想
強い意志を感じる!『当てて見せようホトトギス』秀吉タイプですか?
『※注) 巨乳化注意報発動! → 胸のハリが止まらない簡単・最速バストアップ!!』
…美容系サイト誘導
なんか止まらなくなりそうで怖いキャッチコピーですね。
(^_^;)
『(1通目)『¥200.000.000』で全額現金で受け取りして頂けませんか?』
『(2通目)¥500.000は確認頂いてますか?』
『(3通目)【2億円】無償で受け取り頂く為に『50万円』先に用意させて頂きました。』
…カテゴリはなんと呼べば…
すごい親切です。2億円振り込む前に50万円も…。
(^^ゞ
と、書いている間にも、
「知識から旨い飲み方まで教えてくれる日本酒の全てが分かるDVD」のお知らせが届きました。
もっと面白いのがあるかと思ったのですが、改めて見返してみてもイマイチでした。
<(_ _)>
中学生の頃「にっかつロマンポルノ」の面白い題名を誰が早く見つけられるか?
なんて遊びをしていましたが、その方が面白かったです。
あっ!重ね重ねスミマセン <(_ _)>
私は、ある有名なブロガー紹介の別の方のサイトにある動画をダウンロードするために会員登録をした時を境に怒涛の迷惑メール攻撃を受けるようになりました。
いろいろ対策があるのかもしれませんが、細かな設定方法を調べるのが面倒なため、
とりあえずSPAMのフィルタリングをしたのですが、
そんなことぐらいでは怒涛の波状攻撃の前では無力のようです。
何もしないと大変なので今は受信したごとに「受信拒否アドレス登録」をシコシコやっています。
メーラーを1週間ぐらい開かない時があるのですが山のようなメールが届いていて、これが結構気が滅入ります。
今日久々にメーラーを開いたら迷惑メールが2000通を超えており一気に整理しました。
何だかメールの整理作業が終わると達成感が味わえるくらいです。
「迷惑メールフォルダ」に貯まったメールを一気に削除するのが最後の作業なのですが、こんなに苦労したんだから少しは何かの役にたってもらいたいと考えました。
ブログネタにでもしようかと思い面白いタイトルのメールでもチェキラッチョ!
迷惑メールは大別すると…
(1)ア〇ルト系
ひとくちにアダルト系といっても結構いろいろなパターンがあるようですね。
タイトルが凝っているのは圧倒的にこのジャンルですが、さすがにブログで紹介できないものばかりですね
(^_^;)
(2)投資・金儲け系
これも「え?こんなのに釣られてしまう人っているの?」っていうくらいバカバカしいのが多くアダルト系と双璧で送られてくる量が多いです。
(3)ノウハウ系
いろんなノウハウなどを教えてくれるものです。
私は男性ですのであまり来ませんが、女性の場合はダイエットとか美容などはすごいんでしょうね。
では実際のタイトルを見てみましょう。
『いつもの「アレ」につきまして』
…金儲け系サイトの告知
はい、「アレ」ですね。
え? (;´Д`)
『近くのツタヤで会えまませんか?(#^.^#)』
…アダルト系サイト誘導
ツタヤの出店網のすごさがわかりますね。
迷惑メールからマーケティングが見えてくる?
(笑)
『アイツからメールが来ない!』
…恋愛指南系メルマガ?
ハイ、私は迷惑メールと業務連絡メールとDMしか来ませんけど何か?
『カツラ、植毛、育毛剤に頼らず…“自然に誰にも気づかれず”、髪を蘇らせる方法!』
…薄毛対策
良く知ってますね?私のこの状況…
(*_*)
誰にも気づかれずに増やすことが無理なほど「全盛期」との乖離が著しい薄毛になっちゃっている私でも大丈夫?
『しつこいですよね・・すみません・・でも読んでくださいね。』
…アダルト系サイト誘導
一応、わかっていはいるんだな…。
(-"-)
『若くはありません。』
…アダルト系サイト誘導
私もですから、大丈夫ですよ。
(;_;)/~~~
『「当たる」のではなく「当てる」のです。』
…ロトシックス予想
強い意志を感じる!『当てて見せようホトトギス』秀吉タイプですか?
『※注) 巨乳化注意報発動! → 胸のハリが止まらない簡単・最速バストアップ!!』
…美容系サイト誘導
なんか止まらなくなりそうで怖いキャッチコピーですね。
(^_^;)
『(1通目)『¥200.000.000』で全額現金で受け取りして頂けませんか?』
『(2通目)¥500.000は確認頂いてますか?』
『(3通目)【2億円】無償で受け取り頂く為に『50万円』先に用意させて頂きました。』
…カテゴリはなんと呼べば…
すごい親切です。2億円振り込む前に50万円も…。
(^^ゞ
と、書いている間にも、
「知識から旨い飲み方まで教えてくれる日本酒の全てが分かるDVD」のお知らせが届きました。
もっと面白いのがあるかと思ったのですが、改めて見返してみてもイマイチでした。
<(_ _)>
中学生の頃「にっかつロマンポルノ」の面白い題名を誰が早く見つけられるか?
なんて遊びをしていましたが、その方が面白かったです。
あっ!重ね重ねスミマセン <(_ _)>
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【ひとりカラオケ…ひとり焼肉…あなたは?】 [コラム集 「TAWAGOTO」]
ひとりカラオケって最近すっかり市民権を得たみたいで、だいぶポピュラーになってきましたね。
ひとりカラオケ専用のカラオケ店もあるようで…。
私も以前一人で入りたいなぁって時期もありましたが、まだ未経験です。
いつかやってみたいです。
ちなみに私の知り合いで、結構やっている人います。
また家族で近所のカラオケに行っても普通に一人で入室する人を時々見ます。
テレビで『さすがに切なくなるひとり行動ランキング』というのをやっていました。
5位 ひとりカラオケ
4位 ひとり居酒屋
3位 ひとりバイキング
2位 ひとり焼肉
さて1位は?
1位 ひとり遊園地!
ちなみに私は「ひとり焼肉」をやったことがあります。
別に一つの料理ですのでレストランに一人で入ったと思えばそんなにおかしくもなさそうですが、実際私のひとり焼肉体験は結構切なかったです。
その日は仕事帰りにどうしても焼肉が食べたくなって、焼肉はあんまり一人では行かないのは認識しながらも決行することにしました。
それほど私の体は焼肉を欲していました。
でも私の当時の勤め先は田舎でした。
駅前に1軒だけある焼肉屋に入ると既に閉店間際だったせいもあり誰もお客さんがいませんでした。
ドアを開けた瞬間にひるみましたが、気が小さい私は「やっぱやめた!」って引き返す勇気もなく仕方なく「1人ですけど、いいですか?」なんて小さな声で入っていきました。
結構広い店内に私一人…
もうこの時点で「どうしても焼肉が食べたい!」って勇んでいた気持ちはすっかり萎えていました。
貸切状態でしたので一人なのに座敷に案内されました。
さすがにカルビ1人前でそそくさと食べて帰るわけにもいかず、ビール頼んでカクテキ頼んで、なんてあれこれ頼んで食べきれないほどお皿が並べられました。
店員さんにお店の隅っこに立たれて「もう閉店にしたい」なんて思われていないかとドキドキしながら食べて逃げるようにお勘定して帰りました。
こういうシチュエーションでも普通に食べられるのが『大人な』感じですが、私、こういうの慣れていなくてダメでした。
また、こんなのもあります。
『ひとり「ラ・ブーム2」』
「ラ・ブーム2」っていう映画をご存知でしょうか?
私が高校生の頃、封切りしたフランスの恋愛映画です。
主演のソフィー・マルソーが前作「ラ・ブーム」で大ブレイクしました。
本国ではさほどでもないらしかったですが、日本では愛くるしい顔立ちで人気爆発でした。
私は中高生の頃、試写会や映画の招待券に応募するのが好きでした。
ただソフィー・マルソーが好きっていうだけで「ラ・ブーム2」の劇場招待券に応募して当たっちゃいました。
しかもひとり分です。
せっかく当ったから出かけて行ったんですが、ほとんどがカップルで男一人でこんな映画観てるやつなんていませんでした。
実際、私は恋愛映画なんてそもそも興味があるたちでもなかったですし、本当に「居場所」がない感じでした。
一応最後まで観ましたが、終わったら一目散に出口を目指したのを覚えています。
でもソフィー・マルソーは可愛かったです。
映画は一人で観るのが好きですが恋愛映画は後にも先にもこれだけですね。
ちなみにさっきのランキングの1位は「ひとり遊園地」ですが、なかなか遊園地に一人で行く人はいないでしょうね。
ディズニーランドなら一人で行ってもいいかな?って、ちょっと思いますが…。
「ひとりボウリング」もやったことはないですが、一時期は、練習熱心だったのでやってみたかった「ひとり〇〇」の一つでした。
さて、皆さんは、「ひとり〇〇」って、やったことがあるでしょうか?
ひとりカラオケ専用のカラオケ店もあるようで…。
私も以前一人で入りたいなぁって時期もありましたが、まだ未経験です。
いつかやってみたいです。
ちなみに私の知り合いで、結構やっている人います。
また家族で近所のカラオケに行っても普通に一人で入室する人を時々見ます。
テレビで『さすがに切なくなるひとり行動ランキング』というのをやっていました。
5位 ひとりカラオケ
4位 ひとり居酒屋
3位 ひとりバイキング
2位 ひとり焼肉
さて1位は?
1位 ひとり遊園地!
ちなみに私は「ひとり焼肉」をやったことがあります。
別に一つの料理ですのでレストランに一人で入ったと思えばそんなにおかしくもなさそうですが、実際私のひとり焼肉体験は結構切なかったです。
その日は仕事帰りにどうしても焼肉が食べたくなって、焼肉はあんまり一人では行かないのは認識しながらも決行することにしました。
それほど私の体は焼肉を欲していました。
でも私の当時の勤め先は田舎でした。
駅前に1軒だけある焼肉屋に入ると既に閉店間際だったせいもあり誰もお客さんがいませんでした。
ドアを開けた瞬間にひるみましたが、気が小さい私は「やっぱやめた!」って引き返す勇気もなく仕方なく「1人ですけど、いいですか?」なんて小さな声で入っていきました。
結構広い店内に私一人…
もうこの時点で「どうしても焼肉が食べたい!」って勇んでいた気持ちはすっかり萎えていました。
貸切状態でしたので一人なのに座敷に案内されました。
さすがにカルビ1人前でそそくさと食べて帰るわけにもいかず、ビール頼んでカクテキ頼んで、なんてあれこれ頼んで食べきれないほどお皿が並べられました。
店員さんにお店の隅っこに立たれて「もう閉店にしたい」なんて思われていないかとドキドキしながら食べて逃げるようにお勘定して帰りました。
こういうシチュエーションでも普通に食べられるのが『大人な』感じですが、私、こういうの慣れていなくてダメでした。
また、こんなのもあります。
『ひとり「ラ・ブーム2」』
「ラ・ブーム2」っていう映画をご存知でしょうか?
私が高校生の頃、封切りしたフランスの恋愛映画です。
主演のソフィー・マルソーが前作「ラ・ブーム」で大ブレイクしました。
本国ではさほどでもないらしかったですが、日本では愛くるしい顔立ちで人気爆発でした。
私は中高生の頃、試写会や映画の招待券に応募するのが好きでした。
ただソフィー・マルソーが好きっていうだけで「ラ・ブーム2」の劇場招待券に応募して当たっちゃいました。
しかもひとり分です。
せっかく当ったから出かけて行ったんですが、ほとんどがカップルで男一人でこんな映画観てるやつなんていませんでした。
実際、私は恋愛映画なんてそもそも興味があるたちでもなかったですし、本当に「居場所」がない感じでした。
一応最後まで観ましたが、終わったら一目散に出口を目指したのを覚えています。
でもソフィー・マルソーは可愛かったです。
映画は一人で観るのが好きですが恋愛映画は後にも先にもこれだけですね。
ちなみにさっきのランキングの1位は「ひとり遊園地」ですが、なかなか遊園地に一人で行く人はいないでしょうね。
ディズニーランドなら一人で行ってもいいかな?って、ちょっと思いますが…。
「ひとりボウリング」もやったことはないですが、一時期は、練習熱心だったのでやってみたかった「ひとり〇〇」の一つでした。
さて、皆さんは、「ひとり〇〇」って、やったことがあるでしょうか?
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【敬老の日に思う ~歳を重ねること~ 】 [コラム集 「TAWAGOTO」]
敬老の日にちなんで歳を重ねることについて書きたいと思います。
まだ老人ではないですし、親やその他高齢の方々に対してひと様に語れるほどのことをしてきていないので、「歳をとる」ということに拡大してお送りします。
私は20歳の頃、40歳なんて遠い遠い未来のことだと思っていました。
自分が結婚したり子供ができたり老後のことを心配するなんて現実味がなさ過ぎて想像すらできませんでした。
ただ漠然と40歳って「いろいろなことに分別がある大人で迷いなく決めた人生を着実に歩んでいる姿」を想像していました。
しかし実際にその歳になると若い頃に想像していた状態よりもかなり分別のない大人でした。(笑)
迷いも多いし頭もあんまり良くもない…。
私の育った町では40歳の時に、「第二の成人式」として、『不惑の会』というのが催されました。
不惑とは…孔子の論語の言葉です。
子曰、
・吾十有五而志于学、
・三十而立、
・四十而不惑、
・五十而知天命、
・六十而耳順、
・七十而従心所欲、不踰矩。
子曰く、
・吾れ十有五にして学に志ざす。
・三十にして立つ。
・四十にして惑わず。
・五十にして天命を知る。
・六十にして耳従う。
・七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
孔子が云う、
・「私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。
・三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。
・四十才で戸惑うことがなくなった。
・五十才で天命を悟った。
・六十で何を聞いても動じなくなった。
・七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった」
成人式のように町の会館に集まり式典があり講話を聴いて記念撮影。
ただ「メタボリック対策」なんてのが、成人式ではなく、『中年式』ならではの企画として盛り込まれていました。
また会場を変えて宴会が開かれ、ほとんどのメンバーが参加して旧交を温めあうことができました。
中学を卒業して以来の再開の者も沢山いて、見た目も中身もまったく変わってしまって驚きの『同窓会』でした。
そんな同級生のなか、中学卒業してすぐに、少年院までいってお勤めしてきた手の付けられなかった元不良少年が滔々(とうとう)と「このまえ中学校に行ってきて娘の教育について先生にお願いしてきた。」とか語られ、「人生」ってわからないなぁって思いました。
そいつは本当にひどく荒れた中学生活を送っていました。
私は中学時代、「いつか何かをやってしまうんではないか」とさえ思っていました。
それほど荒れていました。
彼は少年院に行って気づいたそうです。
『このまま、こいつをやってしまったら、もう二度と浮かび上がられない、一生日陰で生きていくようになる。』と…。
入所早々、先輩たちの『洗礼』を受けてひどい目にあったそうです。
その夜、先輩たちが寝ているうちに殺してしまおうと、寝込みを襲う寸前に先述のように思ったそうです。
それからは本当に辛い日々も歯を食いしばって我慢ができたそうです。
お勤めを終えてから、たまたま拾ってくれた職場の人に良くしてもらって自分の仕事に自信が持てるようになり普通に結婚して現在は自分で会社を興して順調に経営しているということです。
そいつは言っていました。
確かにあそこで、「このままではいけない」と気づいたのは自分自身だったし、歯を食いしばって頑張ったのも自分だが、その後の自分を支えてくれた周りの人がいてくれたこそ今の自分があると…。
もしその恩人がいなかったら自分の気持ちだけでもどうにもならずに元の自分に戻ってしまったかもしれないと。
確かに人との出会いは人生の中でとても大きいですね。
ただ素敵な出会いがあっても、それをうまくプラスにできる自分であるかどうかもとても大切なことだと思いました。
きっと辛い日々をくぐり抜けてきてこの人に感謝する心を持てたんだと思います。
あれれ歳を重ねると関係なくなっちゃったかな。
ちょっと話題を変えて…。
私は自分自身で自分が年齢に負けてしまうような言葉を吐くときがあります。
「もう、歳だから…」とか、「若い頃ならできたけど…」
でも、その反面いつでも何かを始められるんだと言い聞かせたりすることもあります。
旅行会社の営業マンをしていた頃、高齢のお客さんが多かったです。
あるおなじみのお客様が別のお客様を紹介してくれるということで一緒にその方を訪問したときのことです。
お客様同士も久しぶりの再会だったようでお互いの現況を語り合っていました。
私のおなじみのお客様は70代だったんですが、ご紹介頂いた方は80代後半です。
その大先輩は現在は田舎で農作業をして暮らしていましたが、足腰も話し方もとてもしっかりされていました。
そして、その方は70代の『後輩』に、
「お前、若いんだから、今から何でもできるな。新しいことに何でもチャレンジしてしっかりやんなきゃだめだぞ。」
みたいなことを言われていました。
その言われた『後輩』は、「はい!」なんて感じで背筋を伸ばして答えられていました。
その時、私は20代の若造でしたが、70歳のおじいちゃんが先輩から「しっかりやれ!」なんて言われて「はい!」なんて真面目に答えている姿が何だかとても面白くて今でも覚えています。
ただ「物事に遅すぎることなんてないんだ」と言われた大先輩の言葉は私の心にも響きました。
今も「これからやりたいこと」を考えているのは、このおじいさんの言葉は結構影響していると思います。
さきほど書いた通り、若い頃に考えていたよりもはるかに遅々とした進化しか遂げていない私ですが、「あぁ、もう手遅れだ」と絶望しないのは、こんなところにもあります。
まぁ、自分の進化の言い訳にもなってしまうのかもしれませんが…。
でも、「俺ってもう終わっちゃった…」って思わなければ遅くてもどんな方向にも進むことはできるかなって思ってます。
あれれ、なんか、ちょっと「歳を重ねること」とちょっと違うかな?
やっぱり私にはこんなテーマを語るほど、まだ練れた大人じゃないみたいです。
私の実家に貼ってある人生訓にも40代はまだ生き方さえ書かれていません。
・50歳は まだ青二才、学ぶことは山ほどある
・60歳は 人生の華、趣味に生きよ 老け込むには早すぎる
・70歳は 夫婦水入らずで余生を楽しむ時間としろ
・80歳で迎えが来たら 留守だと言え
・90歳で迎えが来たら 急ぐなと言え
・100歳で迎えに来たら 焦らずともそのうちこちらから出向くと言え
「歳を重ねること」については、もっと大人になってもブログを継続できていたら、また改めて書きたいなって思います。
まだ老人ではないですし、親やその他高齢の方々に対してひと様に語れるほどのことをしてきていないので、「歳をとる」ということに拡大してお送りします。
私は20歳の頃、40歳なんて遠い遠い未来のことだと思っていました。
自分が結婚したり子供ができたり老後のことを心配するなんて現実味がなさ過ぎて想像すらできませんでした。
ただ漠然と40歳って「いろいろなことに分別がある大人で迷いなく決めた人生を着実に歩んでいる姿」を想像していました。
しかし実際にその歳になると若い頃に想像していた状態よりもかなり分別のない大人でした。(笑)
迷いも多いし頭もあんまり良くもない…。
私の育った町では40歳の時に、「第二の成人式」として、『不惑の会』というのが催されました。
不惑とは…孔子の論語の言葉です。
子曰、
・吾十有五而志于学、
・三十而立、
・四十而不惑、
・五十而知天命、
・六十而耳順、
・七十而従心所欲、不踰矩。
子曰く、
・吾れ十有五にして学に志ざす。
・三十にして立つ。
・四十にして惑わず。
・五十にして天命を知る。
・六十にして耳従う。
・七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
孔子が云う、
・「私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。
・三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。
・四十才で戸惑うことがなくなった。
・五十才で天命を悟った。
・六十で何を聞いても動じなくなった。
・七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった」
成人式のように町の会館に集まり式典があり講話を聴いて記念撮影。
ただ「メタボリック対策」なんてのが、成人式ではなく、『中年式』ならではの企画として盛り込まれていました。
また会場を変えて宴会が開かれ、ほとんどのメンバーが参加して旧交を温めあうことができました。
中学を卒業して以来の再開の者も沢山いて、見た目も中身もまったく変わってしまって驚きの『同窓会』でした。
そんな同級生のなか、中学卒業してすぐに、少年院までいってお勤めしてきた手の付けられなかった元不良少年が滔々(とうとう)と「このまえ中学校に行ってきて娘の教育について先生にお願いしてきた。」とか語られ、「人生」ってわからないなぁって思いました。
そいつは本当にひどく荒れた中学生活を送っていました。
私は中学時代、「いつか何かをやってしまうんではないか」とさえ思っていました。
それほど荒れていました。
彼は少年院に行って気づいたそうです。
『このまま、こいつをやってしまったら、もう二度と浮かび上がられない、一生日陰で生きていくようになる。』と…。
入所早々、先輩たちの『洗礼』を受けてひどい目にあったそうです。
その夜、先輩たちが寝ているうちに殺してしまおうと、寝込みを襲う寸前に先述のように思ったそうです。
それからは本当に辛い日々も歯を食いしばって我慢ができたそうです。
お勤めを終えてから、たまたま拾ってくれた職場の人に良くしてもらって自分の仕事に自信が持てるようになり普通に結婚して現在は自分で会社を興して順調に経営しているということです。
そいつは言っていました。
確かにあそこで、「このままではいけない」と気づいたのは自分自身だったし、歯を食いしばって頑張ったのも自分だが、その後の自分を支えてくれた周りの人がいてくれたこそ今の自分があると…。
もしその恩人がいなかったら自分の気持ちだけでもどうにもならずに元の自分に戻ってしまったかもしれないと。
確かに人との出会いは人生の中でとても大きいですね。
ただ素敵な出会いがあっても、それをうまくプラスにできる自分であるかどうかもとても大切なことだと思いました。
きっと辛い日々をくぐり抜けてきてこの人に感謝する心を持てたんだと思います。
あれれ歳を重ねると関係なくなっちゃったかな。
ちょっと話題を変えて…。
私は自分自身で自分が年齢に負けてしまうような言葉を吐くときがあります。
「もう、歳だから…」とか、「若い頃ならできたけど…」
でも、その反面いつでも何かを始められるんだと言い聞かせたりすることもあります。
旅行会社の営業マンをしていた頃、高齢のお客さんが多かったです。
あるおなじみのお客様が別のお客様を紹介してくれるということで一緒にその方を訪問したときのことです。
お客様同士も久しぶりの再会だったようでお互いの現況を語り合っていました。
私のおなじみのお客様は70代だったんですが、ご紹介頂いた方は80代後半です。
その大先輩は現在は田舎で農作業をして暮らしていましたが、足腰も話し方もとてもしっかりされていました。
そして、その方は70代の『後輩』に、
「お前、若いんだから、今から何でもできるな。新しいことに何でもチャレンジしてしっかりやんなきゃだめだぞ。」
みたいなことを言われていました。
その言われた『後輩』は、「はい!」なんて感じで背筋を伸ばして答えられていました。
その時、私は20代の若造でしたが、70歳のおじいちゃんが先輩から「しっかりやれ!」なんて言われて「はい!」なんて真面目に答えている姿が何だかとても面白くて今でも覚えています。
ただ「物事に遅すぎることなんてないんだ」と言われた大先輩の言葉は私の心にも響きました。
今も「これからやりたいこと」を考えているのは、このおじいさんの言葉は結構影響していると思います。
さきほど書いた通り、若い頃に考えていたよりもはるかに遅々とした進化しか遂げていない私ですが、「あぁ、もう手遅れだ」と絶望しないのは、こんなところにもあります。
まぁ、自分の進化の言い訳にもなってしまうのかもしれませんが…。
でも、「俺ってもう終わっちゃった…」って思わなければ遅くてもどんな方向にも進むことはできるかなって思ってます。
あれれ、なんか、ちょっと「歳を重ねること」とちょっと違うかな?
やっぱり私にはこんなテーマを語るほど、まだ練れた大人じゃないみたいです。
私の実家に貼ってある人生訓にも40代はまだ生き方さえ書かれていません。
・50歳は まだ青二才、学ぶことは山ほどある
・60歳は 人生の華、趣味に生きよ 老け込むには早すぎる
・70歳は 夫婦水入らずで余生を楽しむ時間としろ
・80歳で迎えが来たら 留守だと言え
・90歳で迎えが来たら 急ぐなと言え
・100歳で迎えに来たら 焦らずともそのうちこちらから出向くと言え
「歳を重ねること」については、もっと大人になってもブログを継続できていたら、また改めて書きたいなって思います。
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