【若者の意見が反映されたらいいな「働き方改革」】 [コラム集 「TAWAGOTO」]
「働き方改革」というキーワードは今とても話題になっていますね。
メディアに登場する機会も多いし、論じる記事をネットで読む機会も多いし、ご多分に漏れず私の勤務先でもこのキーワードで会社の改革に取り組んだりもしています。

政府主導で始まったこの流れに関して「働かせ改革」と揶揄されたりしています。
本来であれば働いている人たちにとって有意義になるような改革をしていくべきでしょう。
でも結局「働かせる側」にとっての改革を進めようとしているところに違和感があるからでしょう。

私はこの改革を政府主導でしていく点で既に疑問があるところですが、少なくとも企業が取り組むなら働いている人たちの未来を考えていく意味で若い人たちの意見を最大限反映したものにすることが大事だと思います。
私は既に自分のことを表現する時は「中年」ではなく「中高年」というワードを選ぶようになったお年頃。
発想が昭和の時代の「焼き直し」になってしまいます。
既に若者にとっての「当たり前」がわかっていない世代です。
そして私と同じような人たちがいくら頭をひねったところで出てくるアイデアはその枠をはみ出るのは難しいと思います。
この記事を今ラジオを聴きながら書いていますが、ラジオで御年49歳の福山雅治さんが言っています。


共演者で放送作家の今浪氏と
「ジーンズじゃなくていまだにGパンなんですよね。」
「デニムだろうが。」
「トップスなんて、自分の口から出ないですよね。」
「何が?」
みたいなやりとりをしています。
漫才の掛け合いのようなやりとりで同年代の様子を良く表していて面白かったです。
こんなところで滞留しているオジサンたちが若者の心を動かす様な改革をできるかということです。
各部署から若者たちを募って意見やアイデアを出してもらって改革案をまとめていくようなことも既に「働き方改革あるある」になっていると思います。

意見を出すのは若者でもプランを決めるのがオジサンの場合、結果だけみると「迷走感」がぬぐえなかったりします。
社員同士のコミュニケーションの充実には「飲みケーション的」な親睦の深め方が大事だという基礎的な前提があったり、労務管理のしやすさが優先順位の高位を占めていたり…。
既に未来を語るには我々中高年は古くなり過ぎた、そんな気がしてしまいます。
もちろん、そうやって自分自身を既成の考え方に当てはめて殻に閉じこもり、新しいことを知ろうとしないことは中高年が会社のお荷物になるだけです。
少なくとも「多様性」をダイバーシティと表現したり、単に既存の業務をITに置き換えることが「新しいこと」では無いはずです。
我々も自分たちが培ってきたノウハウで伝承すべきコアなものを引き継ぐとともに新しい事に偏見なくフラットに向き合って吸収していくことが大切だと思います。
しかも積極的に知る努力をしないと新しいものに触れる機会が増えないのだろうと感じています。
そうした努力を我々がしつつも…
我々からすれば「新しいもの」に日常的に触れている若者のナマの声を反映して未来の社会を背負って立つであろう人たちが真に働きたいと思える職場環境を提供できるようになったらいいなって私は思っています。
そして我々中高年、特に会社でまだ発言力を持っている中高年に求められるのは、そういう若者に対して「好きなようにやってみればいい」と言える度量だったり器量なのかな?って思います。
「意見を聞く割には結局なんだかんだ言って自分の意見を通してくれることはない。」
「裁量がないから窮屈な運用を強いられて当初のコンセプト、目的が達成されず、手段だけが実行されるようなプロジェクトが不毛。」
といった感想を持たれてモチベーションも上がらず、「余計な仕事が増やされた」と思う若者は多いのではないかと感じています。
今日もどこかの会議室で次代を担う若者たちが「働き方改革プロジェクト」の一員として働かされて、その分の時間を捻出させるために長時間労働に心身をすり減らしたりしていないことを祈っています。

私はさほど大きな裁量を持たされている訳ではありませんが、自分の裁量でできるところから彼らに任せて実行する施策の実現を目指してみようと考えています。
小さなことでも、
自分たちで考えて、自分たちで決めて、自分たちで実践して、その恩恵を自分たちが実感する、
そういった実績によって、我々中高年を少しでも信用してもらえる関係を作っていけたらいいなって思っています。
少しでも若い世代が「自分たちの未来のために」という気持ちで仕事や職場と向き合えるようにやれるところからやってみたいと考えています。
メディアに登場する機会も多いし、論じる記事をネットで読む機会も多いし、ご多分に漏れず私の勤務先でもこのキーワードで会社の改革に取り組んだりもしています。

政府主導で始まったこの流れに関して「働かせ改革」と揶揄されたりしています。
本来であれば働いている人たちにとって有意義になるような改革をしていくべきでしょう。
でも結局「働かせる側」にとっての改革を進めようとしているところに違和感があるからでしょう。

私はこの改革を政府主導でしていく点で既に疑問があるところですが、少なくとも企業が取り組むなら働いている人たちの未来を考えていく意味で若い人たちの意見を最大限反映したものにすることが大事だと思います。
私は既に自分のことを表現する時は「中年」ではなく「中高年」というワードを選ぶようになったお年頃。
発想が昭和の時代の「焼き直し」になってしまいます。
既に若者にとっての「当たり前」がわかっていない世代です。
そして私と同じような人たちがいくら頭をひねったところで出てくるアイデアはその枠をはみ出るのは難しいと思います。
この記事を今ラジオを聴きながら書いていますが、ラジオで御年49歳の福山雅治さんが言っています。
共演者で放送作家の今浪氏と
「ジーンズじゃなくていまだにGパンなんですよね。」
「デニムだろうが。」
「トップスなんて、自分の口から出ないですよね。」
「何が?」
みたいなやりとりをしています。
漫才の掛け合いのようなやりとりで同年代の様子を良く表していて面白かったです。
こんなところで滞留しているオジサンたちが若者の心を動かす様な改革をできるかということです。
各部署から若者たちを募って意見やアイデアを出してもらって改革案をまとめていくようなことも既に「働き方改革あるある」になっていると思います。

意見を出すのは若者でもプランを決めるのがオジサンの場合、結果だけみると「迷走感」がぬぐえなかったりします。
社員同士のコミュニケーションの充実には「飲みケーション的」な親睦の深め方が大事だという基礎的な前提があったり、労務管理のしやすさが優先順位の高位を占めていたり…。
既に未来を語るには我々中高年は古くなり過ぎた、そんな気がしてしまいます。
もちろん、そうやって自分自身を既成の考え方に当てはめて殻に閉じこもり、新しいことを知ろうとしないことは中高年が会社のお荷物になるだけです。
少なくとも「多様性」をダイバーシティと表現したり、単に既存の業務をITに置き換えることが「新しいこと」では無いはずです。
我々も自分たちが培ってきたノウハウで伝承すべきコアなものを引き継ぐとともに新しい事に偏見なくフラットに向き合って吸収していくことが大切だと思います。
しかも積極的に知る努力をしないと新しいものに触れる機会が増えないのだろうと感じています。
そうした努力を我々がしつつも…
我々からすれば「新しいもの」に日常的に触れている若者のナマの声を反映して未来の社会を背負って立つであろう人たちが真に働きたいと思える職場環境を提供できるようになったらいいなって私は思っています。
そして我々中高年、特に会社でまだ発言力を持っている中高年に求められるのは、そういう若者に対して「好きなようにやってみればいい」と言える度量だったり器量なのかな?って思います。
「意見を聞く割には結局なんだかんだ言って自分の意見を通してくれることはない。」
「裁量がないから窮屈な運用を強いられて当初のコンセプト、目的が達成されず、手段だけが実行されるようなプロジェクトが不毛。」
といった感想を持たれてモチベーションも上がらず、「余計な仕事が増やされた」と思う若者は多いのではないかと感じています。
今日もどこかの会議室で次代を担う若者たちが「働き方改革プロジェクト」の一員として働かされて、その分の時間を捻出させるために長時間労働に心身をすり減らしたりしていないことを祈っています。

私はさほど大きな裁量を持たされている訳ではありませんが、自分の裁量でできるところから彼らに任せて実行する施策の実現を目指してみようと考えています。
小さなことでも、
自分たちで考えて、自分たちで決めて、自分たちで実践して、その恩恵を自分たちが実感する、
そういった実績によって、我々中高年を少しでも信用してもらえる関係を作っていけたらいいなって思っています。
少しでも若い世代が「自分たちの未来のために」という気持ちで仕事や職場と向き合えるようにやれるところからやってみたいと考えています。
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