【五感で感じられないという不安 放射線を感じる「第七感」を磨けるか?】 [コラム集 「TAWAGOTO」]
家庭で使う無臭のガスにわざと臭いをつけてガス漏れを発見し易くしているという話はご存知の方も多いと思います。
ガスとは違い放射線は目にも見えず、臭いもせず、人間の五感ではその存在がわからないことが不安にさせるのだと思います。
そもそも放射線というのは自然界に存在しているそうですね。
それら自然界に存在する放射線に『色』や『臭い』をつけるのは無理な話かもしれません。
でも発電所や研究施設で発生する『人工的な放射線』なら『色』とか『臭い』とかつけられないかな?って思います。
でもガスは少しでも漏れたら元栓を閉めて各自がその発生源をコントロールできますが、放射線の場合は個人が発生源をコントロールできないので日本中が大騒ぎになってしまうかもしれませんね。
高度経済成長の日本は経済を優先し公害が多発した時代でした。
あの頃は煙突から上がる明らかに体に悪そうな「煙」という『視覚』を感じることができましたが放射線に関しては本当に五感が役に立ちません。
我が家でも一時期、放射線カウンターを購入しようかとも思いましたが、結局買わずに現在に至っています。
私は、「3.11の地震」の時に国に対して「最も大事な情報を出し惜しみ」していると感じていました。
あの時は本当に「自分の身は自分で守るしかない」と考えていましたので、いつでも「身ひとつ」で家族とともに避難する覚悟をしていました。
妻の妹は実家で両親と暮らしていますが、当時、家じゅうの窓を厳重に「目張り」して家族喧嘩の原因になっていたようです。
そんな大地震の後の非常事態が少しづつ日常に戻っていきました。
妻の洗濯も部屋干しからベランダに干すようになり雨にあたってもなんとも感じなくなり、放射線量のモニタをすることもしなくなりました。
浴びただけで死に至るほどの放射線を浴びてしまうのは大変なことですが、その危険は少なくとも東京では無いように感じます。
ただ放射線は長期に渡る期間での蓄積に伴う影響も重要なことです。
「蓄積に伴う影響」については、あまり突き詰めて考えていません。
積極的に同意しているとも思ってはいないのですが、結局は国が言う「安全です」という話を信じているということなのかなとも思っています。
>今日、明日、というレベルの話でなくなった途端に「自分の身は自分で守るしかない」という意識が薄らいでしまうのですね。
もっと知識を高めていかないといけないと反省です。
『五感』は、
素敵な絵画を鑑賞して情緒を高めたり、
⇒ 【フェルメールが上野にやってきた ~真珠の耳飾りの少女~ 】
⇒ 【行ってきました!ルーヴル美術館展の感想と観賞情報お伝えします】
魂の鼓動を感じるような音楽を楽しんだり、
⇒ 【テレキャスターは、ブルース・スプリングスティーンの体の一部だ!】
⇒ 【PVも音楽も素敵なおススメ洋楽トップ10 作業を邪魔される作業用BGM10選】
⇒ 【南米エクアドルのアンデス民族音楽バンド RAYMISのコンサートに魅了】
おいしい料理に舌鼓を打ったり、
⇒ 【横田基地「西洋食堂Fucchá」でお祝い 気さくなフレンチはこんな食事です】
⇒ 【水の音が聞こえるテラスでお茶を…黒茶屋の自然満喫茶】
と欲望を満足するためのものだったりもしますが、生物として危険を察知するという機能が最も大事な役割だと思います。
私は子供時代、食卓に上る数々の料理に対して嗅覚によっておなかを壊すことを未然に防ぐことができました。
盲目の人は視覚がない分、聴覚に対する注意力が研ぎ澄まされたり、「気配を感じること」に敏感になっていったりするということを聞いたことがあります。
「五感」で感じられない危険に対しては、『他の感覚』を研ぎ澄ます必要があるのかもしれませんね。
五感に代わる、その次の感覚とすると『第六感』になりますが、それでは「ヤマ勘」になってしまうので『第七感』とでも命名しましょうか…
知識を増やすとか必要な対象をよくモニタリングするとか…。
ちょっと、『第七感』を研ぎ澄ますこと、できることから始めよう…。
ガスとは違い放射線は目にも見えず、臭いもせず、人間の五感ではその存在がわからないことが不安にさせるのだと思います。
そもそも放射線というのは自然界に存在しているそうですね。
それら自然界に存在する放射線に『色』や『臭い』をつけるのは無理な話かもしれません。
でも発電所や研究施設で発生する『人工的な放射線』なら『色』とか『臭い』とかつけられないかな?って思います。
でもガスは少しでも漏れたら元栓を閉めて各自がその発生源をコントロールできますが、放射線の場合は個人が発生源をコントロールできないので日本中が大騒ぎになってしまうかもしれませんね。
高度経済成長の日本は経済を優先し公害が多発した時代でした。
あの頃は煙突から上がる明らかに体に悪そうな「煙」という『視覚』を感じることができましたが放射線に関しては本当に五感が役に立ちません。
我が家でも一時期、放射線カウンターを購入しようかとも思いましたが、結局買わずに現在に至っています。
私は、「3.11の地震」の時に国に対して「最も大事な情報を出し惜しみ」していると感じていました。
あの時は本当に「自分の身は自分で守るしかない」と考えていましたので、いつでも「身ひとつ」で家族とともに避難する覚悟をしていました。
妻の妹は実家で両親と暮らしていますが、当時、家じゅうの窓を厳重に「目張り」して家族喧嘩の原因になっていたようです。
そんな大地震の後の非常事態が少しづつ日常に戻っていきました。
妻の洗濯も部屋干しからベランダに干すようになり雨にあたってもなんとも感じなくなり、放射線量のモニタをすることもしなくなりました。
浴びただけで死に至るほどの放射線を浴びてしまうのは大変なことですが、その危険は少なくとも東京では無いように感じます。
ただ放射線は長期に渡る期間での蓄積に伴う影響も重要なことです。
「蓄積に伴う影響」については、あまり突き詰めて考えていません。
積極的に同意しているとも思ってはいないのですが、結局は国が言う「安全です」という話を信じているということなのかなとも思っています。
>今日、明日、というレベルの話でなくなった途端に「自分の身は自分で守るしかない」という意識が薄らいでしまうのですね。
もっと知識を高めていかないといけないと反省です。
『五感』は、
素敵な絵画を鑑賞して情緒を高めたり、
⇒ 【フェルメールが上野にやってきた ~真珠の耳飾りの少女~ 】
⇒ 【行ってきました!ルーヴル美術館展の感想と観賞情報お伝えします】
魂の鼓動を感じるような音楽を楽しんだり、
⇒ 【テレキャスターは、ブルース・スプリングスティーンの体の一部だ!】
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⇒ 【南米エクアドルのアンデス民族音楽バンド RAYMISのコンサートに魅了】
おいしい料理に舌鼓を打ったり、
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と欲望を満足するためのものだったりもしますが、生物として危険を察知するという機能が最も大事な役割だと思います。
私は子供時代、食卓に上る数々の料理に対して嗅覚によっておなかを壊すことを未然に防ぐことができました。
盲目の人は視覚がない分、聴覚に対する注意力が研ぎ澄まされたり、「気配を感じること」に敏感になっていったりするということを聞いたことがあります。
「五感」で感じられない危険に対しては、『他の感覚』を研ぎ澄ます必要があるのかもしれませんね。
五感に代わる、その次の感覚とすると『第六感』になりますが、それでは「ヤマ勘」になってしまうので『第七感』とでも命名しましょうか…
知識を増やすとか必要な対象をよくモニタリングするとか…。
ちょっと、『第七感』を研ぎ澄ますこと、できることから始めよう…。
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