【ぴあっていえば… やっぱ『はみだし』でしょう】 [懐かしの話]
「はみだし」って知ってますか?
『チケットぴあ』と言えば、今でこそ日本屈指のチケット販売サイトです。
でも私の子供の頃はまだ『ぴあ』は、もうちょっと『マイナーの匂い』がする存在でした。
中学生の頃、雑誌「ぴあ」を買っていました。
映画雑誌と言えば、月刊の『スクリーン』とか『ロードショウ』なんてありましたが、値段も高いしマニアックだったので手軽に映画情報が得られる「ぴあ」は中学生の私にはちょうど良かったのです。
映画情報はもちろんですが、ぴあ購入にはもうひとつ大きな楽しみがありました。
「はみだし」といってページの端っこの縦に空いたスペースを読者投稿掲載欄としていて、その「はみだし」を読むのがとても楽しみだったのです。
確か正式名称は『はみだし Youとぴあ』というネーミングだったような気がしますが、後半の気恥ずかしい呼び名をあまり使う人はいなかったですね。
何のテーマ性もなくダラダラと書いているものもあれば、面白い「ネタ」を提供しているものもあり暇つぶしには持って来いでした。
インターネットがまだ発明されていない頃の「2ちゃんねる」であり「ツイッター」であったのかもしれません。
私は高校生の時に同級生のネタでこの『はみだし』に初投稿したところ見事掲載されました。
ペンネームを友人のあだ名にして投稿したため完全に同級生にバレて、「誰だこれを投稿したのは?」って、ちょっとした騒ぎになりましたが、私はシラを切りとおしました。
また当時の「ぴあ」はさほどメジャーでもなく試写会とか劇場招待券プレゼントに応募すると結構な確率で当たると言われていましたので何度か応募しました。
そして実際に2回ほど試写会のチケットをゲットしたこともあります。
ぴあの試写会チケットをゲットして一人で「ラ・ブーム2」を観に行った私は…
⇒ 【ひとりカラオケ…ひとり焼肉…あなたは?】
そんな「ぴあ」は大学生になるくらいまで買い続けていたでしょうかね。
チケットぴあにお世話になることはあっても雑誌のぴあを手に取ることはその後なくなりました。
先ほどネットで調べてみたら昨年休刊になってしまったんですね。
まあネットで情報が簡単に入手できる時代には、もうその役目を終えてしまったのかもしれませんね。
学生起業の草分け的存在だったぴあですが、過去にはシステムトラブルを原因とする経営悪化で大規模なリストラを経験していたりしたんですね。
久しぶりに「はみだし」読んでみたいなぁ。
『チケットぴあ』と言えば、今でこそ日本屈指のチケット販売サイトです。
でも私の子供の頃はまだ『ぴあ』は、もうちょっと『マイナーの匂い』がする存在でした。
中学生の頃、雑誌「ぴあ」を買っていました。
映画雑誌と言えば、月刊の『スクリーン』とか『ロードショウ』なんてありましたが、値段も高いしマニアックだったので手軽に映画情報が得られる「ぴあ」は中学生の私にはちょうど良かったのです。
映画情報はもちろんですが、ぴあ購入にはもうひとつ大きな楽しみがありました。
「はみだし」といってページの端っこの縦に空いたスペースを読者投稿掲載欄としていて、その「はみだし」を読むのがとても楽しみだったのです。
確か正式名称は『はみだし Youとぴあ』というネーミングだったような気がしますが、後半の気恥ずかしい呼び名をあまり使う人はいなかったですね。
何のテーマ性もなくダラダラと書いているものもあれば、面白い「ネタ」を提供しているものもあり暇つぶしには持って来いでした。
インターネットがまだ発明されていない頃の「2ちゃんねる」であり「ツイッター」であったのかもしれません。
私は高校生の時に同級生のネタでこの『はみだし』に初投稿したところ見事掲載されました。
ペンネームを友人のあだ名にして投稿したため完全に同級生にバレて、「誰だこれを投稿したのは?」って、ちょっとした騒ぎになりましたが、私はシラを切りとおしました。
また当時の「ぴあ」はさほどメジャーでもなく試写会とか劇場招待券プレゼントに応募すると結構な確率で当たると言われていましたので何度か応募しました。
そして実際に2回ほど試写会のチケットをゲットしたこともあります。
ぴあの試写会チケットをゲットして一人で「ラ・ブーム2」を観に行った私は…
⇒ 【ひとりカラオケ…ひとり焼肉…あなたは?】
そんな「ぴあ」は大学生になるくらいまで買い続けていたでしょうかね。
チケットぴあにお世話になることはあっても雑誌のぴあを手に取ることはその後なくなりました。
先ほどネットで調べてみたら昨年休刊になってしまったんですね。
まあネットで情報が簡単に入手できる時代には、もうその役目を終えてしまったのかもしれませんね。
学生起業の草分け的存在だったぴあですが、過去にはシステムトラブルを原因とする経営悪化で大規模なリストラを経験していたりしたんですね。
久しぶりに「はみだし」読んでみたいなぁ。
◆ ちょっとタイムスリップしたような思い出話はいかがですか?
若い方には新たな発見が、同世代の方には懐かしい、そんなお話をご用意しております。
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【Win95は健在だった…そして思い出が詰まった宝箱が開いた】 [懐かしの話]
過去の転職活動について記事を書こうとしていて、当時の記憶があいまいだったので、きちんと当時の資料を確認したいと思って引っ張り出してきました。
『Win95マシン』
当時のいろんなデータを保存しているノートPCを引っ張り出して見ているところです。
このほこりをかぶっていたマシンは健在でした。
ちゃんと電源も入り、立ち上がりました。
既に当時でもロースペックだった私のTOSHIBA製パソコンは、それでも私の大事な相棒でした。
このパソコンでインターネットの世界に足を踏み入れたのですから…。
パソコンを開いただけで、当時の思い出が蘇ってきます。
スペックをご紹介すると…
メモリ32MB、ハードディスクは2GBです。
ハードディスク2GBって、私の今のPCのメモリと同じ容量です(^_^;)
OSはWin95 Ver.4、ブラウザはIEのVer.5です。
インターネットを開通させるのに本当に苦労しました。
CDROMのスターターキットを立ち上げても全然うまくいきません。
携帯電話を持っておらず電話回線を使ってアナログ接続だったためインターネットを接続しながらサポートセンターの人と電話ができなくてとてももどかしかったです。
若い方には想像つかいないかもしれませんね。
サポートセンターのオペレーターの方に、
「では、これをこうして、こうやって接続できるか試してみて下さい。」
なんて、言われると、
「じゃぁ、この電話切って試してみます。10分後くらいにまた電話しますので、お名前教えてください。」
なんて、やりとりですので一つの作業をするのに1時間はかかります。
そのため開通した時は本当に感動でした。
回線はアナログ(電話と共用)で、しかもPCのスペックは先述の通りです。
画像があるページなんか開こうものなら、表示されるまで1分以上かかります。
大型の画像だと5分はかかりますから…。(^_^;)
もう本当にイライラしました。
なんせ、画像などを読み込んでいる間に時間切れでプログラムがフリーズしちゃうんですから…
メモリもそんな感じですがプログラムもいろいろインストールするとすぐにハードディスクがいっぱいになってしまうので使わないソフトはどんどんアンインストールしないと新たなプログラムが使えませんでした。
ほんとに「だましだまし」使っていました。
お金がなかったし今ほどPCは安くなかったので新品のPCはおろか、外付けHDも買えませんでした。
まだ、USBメモリも発明されていませんでしたので媒体はもっぱらFD(フロッピーディスク)でした。
私はこの相棒と会計事務所から経理職への転職活動をしていました。
書類を作成するのは困りませんでしたが、とにかくネット環境は最悪でした。
見たい情報を得るのに何時間もかかりました。
企業のホームページを閲覧してもすべてのページを表示させるのに1時間もかかるのですから…。
こういう時に、つくづく
「お金がないのはさびしい…」
って思いました。
さて、今回この相棒を開いて懐かしく思ったのは、当時立ち上げたホームページのデータを見たからです。
まだ、「ブログ」という言葉がこの世に存在しない頃、見よう見まねでホームページをやっていました。
メニューを見てみると…
(1)トピックス一覧
(2)プロフィール
(3)最近の出来事
(4)ダイエット日記
(5)メイン掲示板
(6)バカヤロー!
(7)1ライン
(8)夜の歓楽街
(9)アンケート
(10)ゲストブック
(11)スペシャルゲスト
(12)リンク
(13)非常階段
(14)ショート・ショート
(15)カウントダウン
(16)ネットアイドル
(17)チャット
(18)あなたの企業会計原則
結構充実してました。(笑)
簡単にご紹介しますと…
(1)トピックス一覧/(2)プロフィール/(3)最近の出来事
の3つは今で言うとブログそのものです。
(4)ダイエット日記は妻にダイエットをさせてその記録を日々つづったものです。
(5)メイン掲示板は普通のゲスト用掲示板です。
この掲示板がたくさんの常連さんと知り合う社交場です。
(6)バカヤロー!は掲示板なんですが、イライラしたときに「ばかやろー!」って書きなぐっていくための特化した掲示板です。ストレス発散掲示板とでもいいましょうか…
(7)1ラインは(6)の掲示板に書き込みしてくれた中から「心に残るカキコ集」として選んだものを載せていました。
(8)夜の歓楽街はチャットのリンク集です。アイコンで居酒屋やバーを作って好きなお店に入っているという趣向ですが、要は単なるリンク集でした。
(9)アンケートはアンケートCGIによるアンケートです。自分で作ったんです、えらいでしょ?(笑)全14回実施されてました。
(10)ゲストブックは今でいう「あしあと」みたいなもんでしょうか…
(11)スペシャルゲストはキリ番ゲットのゲストの紹介です。今はこういう風習があるのかわかりませんが、当時は必ずホームページにアクセスカウンタがあって、1000番とかキリのいい数字を踏むと喜び称賛しあう習慣がありました。ちなみに最後のスペシャルゲストは5963(ご苦労さん)の「やまとさん」でした。やまとさんは元船乗りさんのようです。
(13)非常階段は次々変わるページに書いてある、YES/NOに答えていくと性格診断みたいなところに到達して常連さんのホームページのリンクが紹介されています。中には、「チャンスカード」があって「運試し」にもなっていて、場合によってはループに迷い込んで出られなくなるので、「非常階段」をクリックすると脱出できるようにしてあり、この名の由来となっていました。
(14)ショート・ショートはショートショート小説をアップしていました。星新一さんが書くような感じのものです。
私のショートショート小説作品はコチラ
⇒ 【いつものように…】
(15)カウントダウンは訪問者の登録で記念日までの時を刻むものです。その日が来ると自動的に「おめでとう!」って感じでフィーバーする仕組みです。記念日を過ぎた後は「何日過ぎました」と表示されるのですが今も刻んでました。これも私のCGIの作品です。やこさんという方の誕生日は既に3574日過ぎています(^_^;)21世紀突入も3282日過ぎとなっています。
(16)ネットアイドルは娘の写真をアップしていました。可愛いです♪ 親ばかです。
(17)チャットはチャットです。掲示板もチャットも、みーんな無料のレンタルでした。たまに時間を決めて常連さんと集まって盛り上がりました。
(18)あなたの企業会計原則は経理マン必携の「企業会計原則」原文のアップとそれのパロディとして、「士業開業原則」「二行書いてぇー原則」「理想体型原則」なんてのがアップされていたようです。おバカですね。
メニューの数だけは充実していましたが、意外に中身はチープです(^_^;)
でも、とても夢中でやってましたね。
このホームページで知り合った方々とは、最初で最後のオフ会も開催され、日本全国から東京タワーに集結しました。
確か20人以上集まったと記憶しています。
東北のお父さんの果樹園を宣伝しながらホームページを運営していた女の子、ロック魂の関西のお兄さん、本当に年齢も性別も職業も住んでる場所もバラバラで何の共通点も無かった、「ただホームページをみんな作っていて掲示板で仲良くなっただけ」なのに本当に楽しいひとときを過ごしました。
私はダイエット日記の著者でもある妻と二人で出かけていきました。
東京で生まれ育ちながら東京タワーに上ったのはこの時が初めてでした。
今はまったくお付き合いがありませんが、みなさんどうしているのか…
そういえばネット開通した直後に「チャットというものがどんなものなのか」体験しようと思って、恐る恐る入って行ったら、お話ができて本当に感動ものでした。
女の子のようでしたが、いまいち話がかみ合わないと思ったら、なんと小学生の女の子でした。
二度びっくりでした。
当時私も30歳を過ぎていましたからね(^_^;)
他愛のないお話をしただけですが、きっとその子も立派な大人になっているんでしょうねぇ。(笑)
さて、そんな過去の私ですが、このブログで10年振りにネットの世界に再デビューしました。
このブログと並行して当時の気持ちを踏襲したようなホームページを立ち上げたいなぁって思います。
私のHPの当時の相棒はマイクロソフト無償提供のフロントページエクスプレスでした。
これは、私の中では最高のホームページ作成ソフトでした。
最近、これを入手しようといろいろ試みましたが絶版で無理でした。
今度、ホームページビルダーかなんか買おうかな…
もしホームページを開設しましたらお知らせしたいと思います。
ご覧の方には是非、お越し頂いて常連さんになってほしいなって思ってますのでよろしくお願いします。
≪記事を書いてのその後≫
当ブログ開設から1年半ほど経ちますが、いまだホームページの開設は実現しておりません(^_^;)
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【私の寮生活はアツかった!特にルームメイトはアツかった!】 [懐かしの話]
私は学校を卒業して、初めて実家を離れ一人暮らしを始めました。
子供の頃から「俺たちの旅」とか「俺たちの朝」といった「俺たちの~」のドラマシリーズを観て一人暮らしに憧れを持っていました。
でも実際には会社の寮で6畳一間に男二人でドラマのようにはいきませんでした。
(海も近くにはありませんでしたし…)
敷地内には団地のような5階建ての建物が4棟か5棟あり、私は4階に住むことになりました。
携帯電話もない時代、各部屋にも電話はなく各棟1階にある共用電話があるのみです。
外線が入ると全館放送で自衛隊を除隊したという管理人さんが
「D棟4階のはるさん、電話が入ってます」
と放送します。
寮生はダッシュで電話を目指します。
モタモタしているとあっという間に不在扱いされ切られてしまいます。
洗濯機もフロアーに2台しかなく取り合いです。
総合家電メーカーだというのに二層式でした。
他のフロアーには全自動洗濯機があり羨ましかったのを覚えています。
またクーラーもなく真夏になると暑くて寝られず、夜な夜な唯一クーラーがある1階の談話室に体を冷やしに行ったものです。
ある休日、友人の部屋で遊んでいて自分の部屋に戻るとドアを開けた瞬間にもぁ~っとした空気…
あろうことかアウトドア好きの同室のルームメイトが、飯ごう炊飯してるじゃないですか…
あっ、こんな奴です。↓
お腹が空いたのでインスタントラーメンを作っていたそうな‥‥
(・_・;)
私はそのままドアを閉めて談話室へ行きました。
30度はあった部屋の温度が5度は上昇していたでしょう…
子供の頃から「俺たちの旅」とか「俺たちの朝」といった「俺たちの~」のドラマシリーズを観て一人暮らしに憧れを持っていました。
でも実際には会社の寮で6畳一間に男二人でドラマのようにはいきませんでした。
(海も近くにはありませんでしたし…)
敷地内には団地のような5階建ての建物が4棟か5棟あり、私は4階に住むことになりました。
携帯電話もない時代、各部屋にも電話はなく各棟1階にある共用電話があるのみです。
外線が入ると全館放送で自衛隊を除隊したという管理人さんが
「D棟4階のはるさん、電話が入ってます」
と放送します。
寮生はダッシュで電話を目指します。
モタモタしているとあっという間に不在扱いされ切られてしまいます。
洗濯機もフロアーに2台しかなく取り合いです。
総合家電メーカーだというのに二層式でした。
他のフロアーには全自動洗濯機があり羨ましかったのを覚えています。
またクーラーもなく真夏になると暑くて寝られず、夜な夜な唯一クーラーがある1階の談話室に体を冷やしに行ったものです。
ある休日、友人の部屋で遊んでいて自分の部屋に戻るとドアを開けた瞬間にもぁ~っとした空気…
あろうことかアウトドア好きの同室のルームメイトが、飯ごう炊飯してるじゃないですか…
あっ、こんな奴です。↓
お腹が空いたのでインスタントラーメンを作っていたそうな‥‥
(・_・;)
私はそのままドアを閉めて談話室へ行きました。
30度はあった部屋の温度が5度は上昇していたでしょう…
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【ヒューズがしょっちゅう飛ぶお部屋 ~ツタの絡まるビックリハウス~ 】 [懐かしの話]
アパートに遊びに来てくれた先輩から「ビックリハウス」と馬鹿にされていた私の部屋。
壁中をツタが生い茂る築年数不明の格安アパートです。
決してこんなオシャレなところではありませんでした。(^^ゞ
どちらかと言うとこっちに近いような…
だって窓を開けても隣のアパートの壁が20センチ程で手が届きますから‥‥。
⇒ 【高円寺でアパート暮らしが始まった 「風呂なし・トイレ共同・築不明」】
困っていたのは、しょっちゅう停電することでした。
原発事故があった当時、日本では夏場の電力需要がピークということで計画停電が心配されていましたが、当時の私のアパートではエアコンなど付いてる部屋はなく停電は冬場が旬でした。
このアパートはブレーカーがついておらず「電気ごたつ」や「電気ストーブ」の使用が始まり電力需要がピークを迎えるとヒューズが飛びます。
そうすると誰かがヒューズを交換しなければなりません。
最初は大家さんから支給されたヒューズを持って真っ暗な玄関のヒューズを交換してましたが、寒いし億劫になってきます。
そんなときは真っ暗な部屋でコタツに入ってじぃ~っと息を潜め、他の部屋の住人が交換してくれるのを待ちます。
だんだんとみんなが息を潜めるようになり根比べの様相を呈してきます。
コタツもだんだんと寒くなり我慢出来ずに交換に行こうとするとヒューズが底を突いていたりします。
あまりに停電が頻繁なため支給されたヒューズはあっという間に底を突いてしまうんです。
裏の大家さんの家まで取りに行くのも寒いし面倒。
そこで思いついたのが「自作ヒューズ」です。
タバコの包装の銀紙を細長く折ってヒューズ代わりにしてました。
過大な電流が流れれば適度に焦げて断線します。
その後はタバコの銀紙は私の部屋にストックされました。
まさかバイクツーリングの応急処置のスキルがこんなときに役立つとは思いませんでした。
⇒ 【FZ250 PHAZER ~旅の友…よりは生活の足~】
多分、良く燃えるであろうツタ屋敷でローストチキンにならなくて良かったです。
その後、娘とこのアパートを見に行きましたが、綺麗なアパートに建て替わってました。
今では私の懐かしい思い出のひとつです。
壁中をツタが生い茂る築年数不明の格安アパートです。
決してこんなオシャレなところではありませんでした。(^^ゞ
どちらかと言うとこっちに近いような…
だって窓を開けても隣のアパートの壁が20センチ程で手が届きますから‥‥。
⇒ 【高円寺でアパート暮らしが始まった 「風呂なし・トイレ共同・築不明」】
困っていたのは、しょっちゅう停電することでした。
原発事故があった当時、日本では夏場の電力需要がピークということで計画停電が心配されていましたが、当時の私のアパートではエアコンなど付いてる部屋はなく停電は冬場が旬でした。
このアパートはブレーカーがついておらず「電気ごたつ」や「電気ストーブ」の使用が始まり電力需要がピークを迎えるとヒューズが飛びます。
そうすると誰かがヒューズを交換しなければなりません。
最初は大家さんから支給されたヒューズを持って真っ暗な玄関のヒューズを交換してましたが、寒いし億劫になってきます。
そんなときは真っ暗な部屋でコタツに入ってじぃ~っと息を潜め、他の部屋の住人が交換してくれるのを待ちます。
だんだんとみんなが息を潜めるようになり根比べの様相を呈してきます。
コタツもだんだんと寒くなり我慢出来ずに交換に行こうとするとヒューズが底を突いていたりします。
あまりに停電が頻繁なため支給されたヒューズはあっという間に底を突いてしまうんです。
裏の大家さんの家まで取りに行くのも寒いし面倒。
そこで思いついたのが「自作ヒューズ」です。
タバコの包装の銀紙を細長く折ってヒューズ代わりにしてました。
過大な電流が流れれば適度に焦げて断線します。
その後はタバコの銀紙は私の部屋にストックされました。
まさかバイクツーリングの応急処置のスキルがこんなときに役立つとは思いませんでした。
⇒ 【FZ250 PHAZER ~旅の友…よりは生活の足~】
多分、良く燃えるであろうツタ屋敷でローストチキンにならなくて良かったです。
その後、娘とこのアパートを見に行きましたが、綺麗なアパートに建て替わってました。
今では私の懐かしい思い出のひとつです。
◆ ちょっとタイムスリップしたような思い出話はいかがですか?
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【高円寺でアパート暮らしが始まった 「風呂なし・トイレ共同・築不明」】 [懐かしの話]
社会人になって初めての一人暮らしは会社の寮でしたが、すぐにその会社は辞めてしまい寮を出なければならなくなりました。
⇒ 【私の仕事遍歴 〔電機メーカーエンジニア⇒旅行会社営業マン〕編】
⇒ 【私の寮生活はアツかった!特にルームメイトはアツかった!】
高円寺のアパートを探していましたが、とにかくお金が無かったので不動産屋さんに駆け込むなり、
「一番安いの下さいっ!」
って、リクエストしました。
最初は「安め」の家賃の物件のチラシを出してきましたが、私は「安い物件」を紹介して欲しくて「安め」の物件には興味がありませんでしたので全く反応しません。
不動産屋さん
「そうですねぇ、これなんかどうですか?」
私
「ん?家賃2万5千円!いいねぇ」
不動産屋さん
「お風呂ないんですがいいですか?トイレも共同なんですけど…」
私
「全然問題無いです」
不動産屋さん
「そうですか♪ それなら駅から5分ですし、とっても便利ですよ。銭湯も歩いてすぐですしコインランドリーもありますよ」
私
「いいですね。」
寮は男二人で6畳一間で、洗濯機も10人に1台で取り合いでしたから、夢のようです。
私
「ちなみに築何年くらいですか?」
不動産屋さん
「えっと…(パラパラと書類をめくりながら)えっと…」
「築不明です!」
私
「え?」
不動産屋さん
「(上目遣いで恐る恐る)ダメでしょうか?」
私
「いやいや全然大丈夫ですよ。(ちょっと顔をひきつらせて)高円寺で駅近でこの家賃、無いですよね」
不動産屋さん
「そうです、そうです、私、この前、見に行きましたが、6畳でも江戸間で広いんですよ。じゃあ、見に行きますか?」
私
「は、はい、お願いします…」
案内された路地裏の木造アパートは、ツタが壁じゅう一面に生い茂り確かに見た目だけでは、築年数を推定するのは困難です。
ただ言えるのは私より長生きしていることは確かです。
中はこぎれいでしたので家賃の安さに惹かれてここに住むことにしました。
不動産屋さんのお兄さんは内見の間中、しきりに、
「江戸間ですから広いですよね。カモイもあって、結構便利なんですよ。」
と、アピールし続けていましたっけ…
ちなみに江戸間とは畳のサイズを表わしていて京間とかいろいろあるのですが、この営業マンは団地サイズと言われるアパートに良く適用されるサイズとの比較で「広さ」をアピールしています。
江戸間では畳1畳が約1.55㎡ですが、団地サイズでは約1.45㎡となります。
まあ銭湯も好きですし、どうせ寝るだけですから、それほど古さも気ならず満足していました。
しかし、一つだけ困ることがありました…
続きはこちら
⇒ 【ヒューズがしょっちゅう飛ぶお部屋 ~ツタの絡まるビックリハウス】
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