【会計事務所から経理職への転職 ~6~】 [私の転職活動]
さて、前々回の記事で時系列に一覧にしましたが、
私の人生で3回目の転職は、2005年正月から始まり、3月4日に終了しました。
約2ヶ月の活動ですが、記事にもある通り、途中入院を1週間ほどしましたので、
応募や面接などの活動は2月に集中していました。
応募企業を見て頂くとおわかりですが、ほとんどがハローワークの紹介企業への応募です。
この点は会計事務所に転職した前回、2回目の転職と同じです。
ただ、異なる点が非常に多かった、私にとって転機となる転職活動でした。
まず、1つめは「転職」というものを研究したことです。
ハウツー本を図書館で借りてきたり、購入して結構読みました。
また、
といった公的機関のサポートを受けて、「ひとりじゃない」転職活動になったことです。
職務経歴書の書き方などは、最初は書籍で、次に各機関でのアドバイス、そしてメンター、人材紹介会社の添削…
ブラッシュアップに「人の目」を通す大切さを痛感しました。
逆に、思ったほど活用しなかったのが、「人材紹介会社」です。
この次の第4回目の転職では、大いに私の味方となってくれた「人材紹介会社」ですが、このときはあまり活用しませんでした。
それには理由があります。
初めて訪問したH社で求職者登録をしたのですが、その時は何社も登録するという発想がありませんでした。
リアクションがあるまで待っていたのですが、思いのほか積極的で正直なところ、「気おくれ」してしまったのです。
とりあえず選り好みせずに積極的な断る理由がなければ応募するスタンスで最初の紹介企業F社への応募をしたのですが、書類の受け渡しから面接の段取りまで自分の知らないところでドンドン進んでいく感じで自分のペースをつかめないことにちょっと戸惑ったのです。
正直なところ、「ちょっと、待って、落ち着いて考えさせて…」って感じになるほど、担当の方がイケイケドンドンな感じだったんです。
担当してくれた方は40歳くらいの中堅どころといった男性の担当者だったのですが、さらに系列会社の偉い人(50歳を超えた恰幅のいい感じ)が仲立ちになって紹介してくれて、面接も同席してフォローするからなんて言ってはくれたのですが、なんか、決まったら断れなくなっちゃいそうだなってプレッシャーをまず感じました。
F社の印象は別に悪くはありませんでしたが、かと言って、「是非、入れてください!」って感じでもなかったので、もし、並行して進めているほかの企業からオファーがあれば断ることもあり得ることを考えるとかなり腰が引けて来てしまいました。
初めて登録した人材紹介会社がそんな感じだったので、「こんな感じで何社も相手するの…できないな」って感じて、書類選考が順調だったこともあり、ハローワーク紹介企業中心に活動することになったのです。
ちなみにメンターはめったに企業を紹介しないスタンスなのですが、私が人材関連企業を希望していたことを気に留めてくれて、1社(G社)紹介してくれました。
しかしながら採用を急いでいない企業であったため、話が進む前に第1希望のA社への入社が決まってしまった、という感じで、結局こちらの方も活動実績なしという結果になりました。
第2回目の時は、働きながら次の職場にあいだをあけずに転職したかったこと、すでに妻が出産を控えており何とか早く新しい職を見つけなればならないと焦っていたこと、などから拙速感が否めなかったのですが、第3回目のこのときは退職して活動する時間に余裕があったこと、失業給付をもらって、3ヶ月の間に決めれば良いと、最初から腹をくくってじっくり取り組もうと決めていたので、手さぐりながらも順序立てて活動を進められたと思っています。
ですから割とのんびりした感じがうかがえます。
第4回目の転職は猛吹雪が吹き荒れるリーマンショック直後の険しいなかでの転職でしたので、こんなのんびりとはやってませんでした。
まずは「転職のイロハ」を書籍で学び、次に雇用・能力開発機構訪問(キャリアシート評価・就職活動相談)で 自分のキャリアの棚卸や人生そのものを見つめ、東京就職サポートセンター(模擬面接)や東京しごとセンター訪問(出先民間コンサルタント会社L社メンター高見さんと面談)でのコンサルティングなど段階を踏んでいったと思います。
そして、ある程度の転職スキルがついたら、「一気に」応募、面接にまい進したという感じです。
ただ応募企業数は数社で第4回とはけた違いに少ない中で決まってしまいました。
これは本当に企業の選り好みをしなかったこと、年齢がまだ若かったこと、何より景気はまぁまぁ悪くなかったことなどが理由かと思います。
2月18日以降は外出したら、何か所も訪問すべく、1日のスケジュールはぎっしりです。
私は東京の田舎に住んでますので、都心に出たらいちいち自宅へ戻れないので、
資料のファイルやフロッピーディスクを持ち歩き、東京しごとセンターのパソコンや、ネットカフェを使って、書類を作成して持ち込むなんてこともしていました。
場合によっては応募書類郵送用の封筒や切手も持ち歩き、ネットカフェで印刷してその場で郵送!なんてこともやってました。
時間をおかず、すぐやる! 松戸市役所のマツモトキヨシの様に…
この2週間だけは営業マンのように忙しく外を歩き回りました。
面接のハシゴなどもしました。(今ではあたりまえですかね…)
私はこの時の転職の経験から、忙しくあれこれアポイントを取ったり、書類を作ったり、企業を吟味したりというのをするのが楽しくなったんですね。
第2回目まではハローワークで紙の資料を1枚1枚見て探していたのが、検索機で条件検索までできて効率よく企業を探せたのも画期的だったと思います。
そして、何よりもこの転職の収穫は、「メンターの重要性」について理解が深まったことです。
私のメンターとなってくれた高見さんは、東京しごとセンターの職員ではなく、東京しごとセンターから委託を受けた民間コンサルタント会社から派遣されていたプロのコンサルタントです。
無料でプロのコンサルタントのコンサルを受けながら(しかも就職できるまで)、活動できたことは幸せでした。
残念ながら、東京しごとセンターでは今はこのサービスは無くなってしまったと聞いています。
プロのコンサルは求職者から直接お金をもらってアドバイスする仕事です。
やはり公共のサービスとは一線を画すところを感じます。
あいまいな表現は排除して、とことん指導してくれますし、適度にやる気が出るようにうまく褒めたり、お尻を叩いたり…
ただ指示を出すときは本当にきっぱり言われます。
それと判断は絶対にしないので、なんでもかんでも委ねてしまうことはできません。
とにかく、私はこのメンターの高見さんには本当に良いアドバイスを頂きました。
人材紹介会社の人と違って利害関係者ではないので、紹介手数料を動機とした行動をとりません。
確かに人材紹介会社などの担当者の方々も求職者の強い味方ではありますが、利害関係者であることを常に意識して行動することが求められます。
是非とも皆さんにも利害関係のないメンターを見つけてほしいと思います。
さて、このような転職活動の結果…
私は人材派遣業の経理課長候補ということで入社することになりました。
ほぼ私の希望を満たす会社に就職することができました。
入社してからも思っていたようなポジションで仕事をさせていただき、しかも過酷な会計事務所の業務から比べると企業の経理って、この労働力でこのお金がもらえるんだって妙に納得してしまいました。
(ただこのとき、人材派遣業という業種選択はあまり深く考えずに決めてしまっていたのですが、のちに大変なことになります。)
最初心配していた、「企業経理の実務経験がなくてやっていけるだろうか、しかも、管理職候補なんて」って思っていましたが、上場企業で要求される企業会計の知識が不要な会社では、会計事務所のスキルがあれば十分すぎてお釣りがくるくらいだということがよくわかりました。
逆に部署がたくさんあって、ちっちゃなことでもみんな決済を尻込みとかして、なかなか物事が進まず、「一般企業って役所みたい…」って感想を持ちました。
まあ私がそういう会社に入社したってだけでしょうけど、やっぱり企業の管理部門って、旅行会社の現場や会計事務所から比べると楽だなぁってのが率直な感想でした。
だって、お昼ごはんて大体食べられますし…
もちろん上場企業や工場会計や外資系企業なんてきっと厳しいのでしょうが、私の経験した(している)2社は、忙しいっていってもたかが知れてる感じです。
そういう意味では、現在の仕事に疲弊している人は規模が大きくて、それでいて上場はしていないような会社は「狙い目」かもしれません。(これも会社によるでしょうけどね)
Facebook転活アプリ
私の人生で3回目の転職は、2005年正月から始まり、3月4日に終了しました。
約2ヶ月の活動ですが、記事にもある通り、途中入院を1週間ほどしましたので、
応募や面接などの活動は2月に集中していました。
応募企業を見て頂くとおわかりですが、ほとんどがハローワークの紹介企業への応募です。
この点は会計事務所に転職した前回、2回目の転職と同じです。
ただ、異なる点が非常に多かった、私にとって転機となる転職活動でした。
まず、1つめは「転職」というものを研究したことです。
ハウツー本を図書館で借りてきたり、購入して結構読みました。
また、
といった公的機関のサポートを受けて、「ひとりじゃない」転職活動になったことです。
職務経歴書の書き方などは、最初は書籍で、次に各機関でのアドバイス、そしてメンター、人材紹介会社の添削…
ブラッシュアップに「人の目」を通す大切さを痛感しました。
逆に、思ったほど活用しなかったのが、「人材紹介会社」です。
この次の第4回目の転職では、大いに私の味方となってくれた「人材紹介会社」ですが、このときはあまり活用しませんでした。
それには理由があります。
初めて訪問したH社で求職者登録をしたのですが、その時は何社も登録するという発想がありませんでした。
リアクションがあるまで待っていたのですが、思いのほか積極的で正直なところ、「気おくれ」してしまったのです。
とりあえず選り好みせずに積極的な断る理由がなければ応募するスタンスで最初の紹介企業F社への応募をしたのですが、書類の受け渡しから面接の段取りまで自分の知らないところでドンドン進んでいく感じで自分のペースをつかめないことにちょっと戸惑ったのです。
正直なところ、「ちょっと、待って、落ち着いて考えさせて…」って感じになるほど、担当の方がイケイケドンドンな感じだったんです。
担当してくれた方は40歳くらいの中堅どころといった男性の担当者だったのですが、さらに系列会社の偉い人(50歳を超えた恰幅のいい感じ)が仲立ちになって紹介してくれて、面接も同席してフォローするからなんて言ってはくれたのですが、なんか、決まったら断れなくなっちゃいそうだなってプレッシャーをまず感じました。
F社の印象は別に悪くはありませんでしたが、かと言って、「是非、入れてください!」って感じでもなかったので、もし、並行して進めているほかの企業からオファーがあれば断ることもあり得ることを考えるとかなり腰が引けて来てしまいました。
初めて登録した人材紹介会社がそんな感じだったので、「こんな感じで何社も相手するの…できないな」って感じて、書類選考が順調だったこともあり、ハローワーク紹介企業中心に活動することになったのです。
ちなみにメンターはめったに企業を紹介しないスタンスなのですが、私が人材関連企業を希望していたことを気に留めてくれて、1社(G社)紹介してくれました。
しかしながら採用を急いでいない企業であったため、話が進む前に第1希望のA社への入社が決まってしまった、という感じで、結局こちらの方も活動実績なしという結果になりました。
第2回目の時は、働きながら次の職場にあいだをあけずに転職したかったこと、すでに妻が出産を控えており何とか早く新しい職を見つけなればならないと焦っていたこと、などから拙速感が否めなかったのですが、第3回目のこのときは退職して活動する時間に余裕があったこと、失業給付をもらって、3ヶ月の間に決めれば良いと、最初から腹をくくってじっくり取り組もうと決めていたので、手さぐりながらも順序立てて活動を進められたと思っています。
ですから割とのんびりした感じがうかがえます。
第4回目の転職は猛吹雪が吹き荒れるリーマンショック直後の険しいなかでの転職でしたので、こんなのんびりとはやってませんでした。
まずは「転職のイロハ」を書籍で学び、次に雇用・能力開発機構訪問(キャリアシート評価・就職活動相談)で 自分のキャリアの棚卸や人生そのものを見つめ、東京就職サポートセンター(模擬面接)や東京しごとセンター訪問(出先民間コンサルタント会社L社メンター高見さんと面談)でのコンサルティングなど段階を踏んでいったと思います。
そして、ある程度の転職スキルがついたら、「一気に」応募、面接にまい進したという感じです。
ただ応募企業数は数社で第4回とはけた違いに少ない中で決まってしまいました。
これは本当に企業の選り好みをしなかったこと、年齢がまだ若かったこと、何より景気はまぁまぁ悪くなかったことなどが理由かと思います。
2月18日以降は外出したら、何か所も訪問すべく、1日のスケジュールはぎっしりです。
私は東京の田舎に住んでますので、都心に出たらいちいち自宅へ戻れないので、
資料のファイルやフロッピーディスクを持ち歩き、東京しごとセンターのパソコンや、ネットカフェを使って、書類を作成して持ち込むなんてこともしていました。
場合によっては応募書類郵送用の封筒や切手も持ち歩き、ネットカフェで印刷してその場で郵送!なんてこともやってました。
時間をおかず、すぐやる! 松戸市役所のマツモトキヨシの様に…
この2週間だけは営業マンのように忙しく外を歩き回りました。
面接のハシゴなどもしました。(今ではあたりまえですかね…)
私はこの時の転職の経験から、忙しくあれこれアポイントを取ったり、書類を作ったり、企業を吟味したりというのをするのが楽しくなったんですね。
第2回目まではハローワークで紙の資料を1枚1枚見て探していたのが、検索機で条件検索までできて効率よく企業を探せたのも画期的だったと思います。
そして、何よりもこの転職の収穫は、「メンターの重要性」について理解が深まったことです。
私のメンターとなってくれた高見さんは、東京しごとセンターの職員ではなく、東京しごとセンターから委託を受けた民間コンサルタント会社から派遣されていたプロのコンサルタントです。
無料でプロのコンサルタントのコンサルを受けながら(しかも就職できるまで)、活動できたことは幸せでした。
残念ながら、東京しごとセンターでは今はこのサービスは無くなってしまったと聞いています。
プロのコンサルは求職者から直接お金をもらってアドバイスする仕事です。
やはり公共のサービスとは一線を画すところを感じます。
あいまいな表現は排除して、とことん指導してくれますし、適度にやる気が出るようにうまく褒めたり、お尻を叩いたり…
ただ指示を出すときは本当にきっぱり言われます。
それと判断は絶対にしないので、なんでもかんでも委ねてしまうことはできません。
とにかく、私はこのメンターの高見さんには本当に良いアドバイスを頂きました。
人材紹介会社の人と違って利害関係者ではないので、紹介手数料を動機とした行動をとりません。
確かに人材紹介会社などの担当者の方々も求職者の強い味方ではありますが、利害関係者であることを常に意識して行動することが求められます。
是非とも皆さんにも利害関係のないメンターを見つけてほしいと思います。
さて、このような転職活動の結果…
私は人材派遣業の経理課長候補ということで入社することになりました。
ほぼ私の希望を満たす会社に就職することができました。
入社してからも思っていたようなポジションで仕事をさせていただき、しかも過酷な会計事務所の業務から比べると企業の経理って、この労働力でこのお金がもらえるんだって妙に納得してしまいました。
(ただこのとき、人材派遣業という業種選択はあまり深く考えずに決めてしまっていたのですが、のちに大変なことになります。)
最初心配していた、「企業経理の実務経験がなくてやっていけるだろうか、しかも、管理職候補なんて」って思っていましたが、上場企業で要求される企業会計の知識が不要な会社では、会計事務所のスキルがあれば十分すぎてお釣りがくるくらいだということがよくわかりました。
逆に部署がたくさんあって、ちっちゃなことでもみんな決済を尻込みとかして、なかなか物事が進まず、「一般企業って役所みたい…」って感想を持ちました。
まあ私がそういう会社に入社したってだけでしょうけど、やっぱり企業の管理部門って、旅行会社の現場や会計事務所から比べると楽だなぁってのが率直な感想でした。
だって、お昼ごはんて大体食べられますし…
もちろん上場企業や工場会計や外資系企業なんてきっと厳しいのでしょうが、私の経験した(している)2社は、忙しいっていってもたかが知れてる感じです。
そういう意味では、現在の仕事に疲弊している人は規模が大きくて、それでいて上場はしていないような会社は「狙い目」かもしれません。(これも会社によるでしょうけどね)
シリーズ
〔経理管理職の転職〕
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