【アニメ『恋は雨上がりのように』中高年の私がこの作品から受けた刺激】 [動画・アニメ]
映画とかドラマとか音楽とか小説とか。
いろいろな作品から心が刺激を受けて「背中を押され」たり、「ささくれていた心が癒され」たり、ってことあると思います。
私は映画やアニメを観るのが好きで良く観ますが、最近は小説はめっきり読まなくなってしまいました。
そして映画やアニメを観る時に求めるのは「エンターテイメント」なので、あまりメッセージ性の強いドラマを観ることは多くはありません。
でも時には作者の思いが伝わってきて心に響くことを感じることがあります。
無料会員から脱退しそびれてずっと加入し続けているAmazonプライムでビデオが観放題なので時間を見つけてはビデオで映画を観たりしています。
先日、アマゾンから推奨されるアニメ作品のレビューを見たら、好評価の作品があったので観てみました。
とても丁寧に作り込まれたアニメですっかり引き込まれてしまいました。
『恋は雨上がりのように』は「17歳の女子高生が45歳の冴えない中年バツイチファミレス店長に恋をする」、というお話です。
詳しい紹介や私の感想は記事にしてまとめてみましたので、下記の記事をご参考にしてみて下さい。
「恋は雨上がりのように」大人が大人らしくなれたらいいなと思わせるアニメ
題材だけ見ると奇をてらったふわふわしたアニメ作品の様な印象ですが、登場人物の心情を丁寧に描いていて大人が見ても(むしろおっさんの方がこの作品に多く反応しているようです)鑑賞に堪えられる作品だと感じました。
今回はこの作品で私が影響を受けたことについてお伝えしようと思います。
この作品で45歳の近藤店長は他の社員、パートのおばさん、学生バイト達から、「うだつが上がらない」ダメサラリーマンとして描かれています。
そしてその辺を本人も自覚していて常に控えめに行動する癖がついています。
しかし物語が進んでいくうちにこの店長は若い頃、純文学に傾倒し小説家を目指していたという過去があることがわかってきます。
そしてその夢は細々ではあるけど、実は「現在進行形」であるらしいことも垣間見えます。
でも店長はうだうだと夢を捨てきれず、だからと言ってその諦めきれない夢を必死に追っている訳ではない自分に強い劣等感とか挫折感を抱えて自分を卑下しながら生きていくことで日常とのバランスをとっているようなところも見え隠れします。
小説家として売れっ子となっている学生時代の友人・ちひろにも劣等感を持っていて理由もないのに疎遠になっています。
自分のことを「素敵」だと言ってくれる女子高生・あきらの言葉も嬉しい反面、劣等感を逆なでされるような居心地の悪さも感じています。
そんな「静かにひっそりと」生きていこうと決めているいるかの様な店長でしたが、自分に対して何の躊躇もなくぶつかってくるあきらの若いまっすぐさに触れるうちに少しずつ気持ちに変化が現れます。
ずっと忘れていた以前の自分が持っていた情熱とか熱い想いが少しずつ呼び起こされていくようです。
女子高生・あきらは陸上のエース選手だった自分がケガで走れなくなってしまい落ち込んでいた時に励ましてくれた店長に恋をしてしまうのですが、ファミレス仲間が知らない店長の一面を知っていくうちに、知的でとても優しい心情を持っている店長の人柄に惹かれていきます。
店長のあまりにも自分を拒む姿勢に疎ましく思われていると落ち込みもしますが、若さゆえの行動で店長と気持ちが通じていきます。
ある日、ファミレスの軒先のツバメの巣をヒナの巣立ちを待って撤去した時のエピソードを店長が教えてくれます。
「一羽だけなかなか飛び立たなくてねぇ。ヒヤヒヤしたもんだけど無事みんな巣立っていったよ。」
その話を聞いたあきらはこんな風に店長に尋ねます。
「もしも、仲間と一緒に飛び立てなかったら、そのツバメはどうなってしまうんでしょうか?」
毎日かつての陸上部の仲間が部活に励んでいる姿を横目に見ながら、それを避けるようにしてきたあきらは自分だけが取り残されてしまう様な寂しさと焦りのような気持ちが複雑に入り混じっていて思わず口をついてそんな質問を聞くともなく店長に投げかけます。
店長はその心情を察してこんな風に答えます。
「飛び立てなくてもその地に留まって得る幸せもあるかもしれないね、仲間たちのことも忘れて。」
「でもそのツバメの飛び立たなかった理由がただの諦めであったとしたら、きっと空を見上げることになる。」
「ずっと、永遠に。」
あきらは「なんちゃってね。」と照れながらはぐらかす店長にこう言います。
「私は店長の言葉が聞けて嬉しいです。」
「店長の言葉をもっと聞きたいですし、いつか店長の言葉を読んでみたいです。」
「店長がメモを取るのはいつか書く小説のためですよね。」
店長はあきらの言葉を聞いてどぎまぎして言います。
「こんな俺の?」
あきらは店長をまっすぐ見つめてこう言います。
「そんな店長だからです。」
「それから本当に飛ぶことを諦めたツバメはきっと空を見上げることも忘れてしまうでしょうから。」
あきらは自分のことを尋ねながら、店長が迷いながらも自分の道を進み続けていることを尊敬していることを伝えたいと思っているようです。
店長は心の中で呟きます。
「ツバメは知っている。雨の当たらぬ場所は陽の当たらぬ場所だと…。」
まだ店長の書く小説を読んだこともないあきらはこう伝えます。
「私、店長の書く小説、きっと好きです。」
あきらは迷いながらも自分なりに模索する気持ちの整理に寄り添ってくれている店長の人柄のにじみ出る言葉が何より好きなんだと思います。
そしてそのことに何のためらいもなくまっすぐにそのことを伝えてくるのです。
あきらにとっては「何でも知ってる大人」である店長かもしれませんが、店長もまた、揺らぐ気持ちの中で生きていて、あきらのまっすぐな言葉のひとつひとつが店長の心を大きく動かしているのです。
二人の間柄は「かけがえのない存在」になっていきます。
この作品で「二人の恋」という面では7話にクライマックスを迎えます。
7話の中で自分に強い恋心を抱いていることが決して偽物ではないということを店長も受け入れます。
あきらのあまりにもまっすぐな恋心が表現されていて、またそれに優しく答えようとする店長の包容力が素敵に描かれ二人の恋愛の形に感動してしまいます。
しかしながら、ここから先二人の恋が発展するかというとそういうわけではありません。
むしろこのツバメのエピソードのようにお互いかけがえのない存在になり、お互いを高めていくことにつながっていく関係になり純粋な恋愛的要素のエピソードはほとんど無くなり完結へと向かいます。
そんななか、店長は中途半端だった小説と真剣に向き合うことを決意します。
ちょっと照れながら小説を書き始めていることを語ります。
「文学に寄り添い生きると交わした自分との約束、これだけは果たしたいと思ってる。ふふっ」
そしてさりげなく帰り際のあきらに声を掛けます。
「もしかしたら…橘さんにもあるんじゃない?忘れている自分との約束が。」
立ち止まっているあきらの背中を優しく押してあげます。
そして、親友がいくら心を砕いても動かなかったあきらでしたが、店長の優しい言葉が心を動かして一歩を踏み出してみようと思い始めます。
あきらの溢れるほどの恋心というきっかけで二人を結びつけたお話ですが、この作品から「雨宿り」のように留まっている人が一歩をどうやって踏み出すか、それを人とのつながりで感じていくことの素晴らしさみたいなもの感じさせてくれます。
そして私自身この点が強く心に突き刺さり、心が揺さぶられました。
私もときどき現在の「好きなことをしていない自分」を想って心にさざ波が起きたりします。
でも日常との折り合いを付けるために心の奥底に封印したりして過ごしてきました。
でもこの作品を見て、やっぱりきちんと向き合いたいって思うようになりました。
この物語は最後には二人がきちんと「雨宿り」から雨上がりの空の下に歩き出していくところで完結しています。
私の雨宿りは今もなお続いていますが、私もその一歩を踏み出せるように、自分から逃げないようにしたいって、今思っています。。
ご興味のある方は是非ご覧になってみて下さい。
公式サイト
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私の感想記事
「恋は雨上がりのように」大人が大人らしくなれたらいいなと思わせるアニメ
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いろいろな作品から心が刺激を受けて「背中を押され」たり、「ささくれていた心が癒され」たり、ってことあると思います。
私は映画やアニメを観るのが好きで良く観ますが、最近は小説はめっきり読まなくなってしまいました。
そして映画やアニメを観る時に求めるのは「エンターテイメント」なので、あまりメッセージ性の強いドラマを観ることは多くはありません。
でも時には作者の思いが伝わってきて心に響くことを感じることがあります。
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先日、アマゾンから推奨されるアニメ作品のレビューを見たら、好評価の作品があったので観てみました。
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『恋は雨上がりのように』は「17歳の女子高生が45歳の冴えない中年バツイチファミレス店長に恋をする」、というお話です。
詳しい紹介や私の感想は記事にしてまとめてみましたので、下記の記事をご参考にしてみて下さい。
「恋は雨上がりのように」大人が大人らしくなれたらいいなと思わせるアニメ
題材だけ見ると奇をてらったふわふわしたアニメ作品の様な印象ですが、登場人物の心情を丁寧に描いていて大人が見ても(むしろおっさんの方がこの作品に多く反応しているようです)鑑賞に堪えられる作品だと感じました。
今回はこの作品で私が影響を受けたことについてお伝えしようと思います。
この作品で45歳の近藤店長は他の社員、パートのおばさん、学生バイト達から、「うだつが上がらない」ダメサラリーマンとして描かれています。
そしてその辺を本人も自覚していて常に控えめに行動する癖がついています。
しかし物語が進んでいくうちにこの店長は若い頃、純文学に傾倒し小説家を目指していたという過去があることがわかってきます。
そしてその夢は細々ではあるけど、実は「現在進行形」であるらしいことも垣間見えます。
でも店長はうだうだと夢を捨てきれず、だからと言ってその諦めきれない夢を必死に追っている訳ではない自分に強い劣等感とか挫折感を抱えて自分を卑下しながら生きていくことで日常とのバランスをとっているようなところも見え隠れします。
小説家として売れっ子となっている学生時代の友人・ちひろにも劣等感を持っていて理由もないのに疎遠になっています。
自分のことを「素敵」だと言ってくれる女子高生・あきらの言葉も嬉しい反面、劣等感を逆なでされるような居心地の悪さも感じています。
そんな「静かにひっそりと」生きていこうと決めているいるかの様な店長でしたが、自分に対して何の躊躇もなくぶつかってくるあきらの若いまっすぐさに触れるうちに少しずつ気持ちに変化が現れます。
ずっと忘れていた以前の自分が持っていた情熱とか熱い想いが少しずつ呼び起こされていくようです。
女子高生・あきらは陸上のエース選手だった自分がケガで走れなくなってしまい落ち込んでいた時に励ましてくれた店長に恋をしてしまうのですが、ファミレス仲間が知らない店長の一面を知っていくうちに、知的でとても優しい心情を持っている店長の人柄に惹かれていきます。
店長のあまりにも自分を拒む姿勢に疎ましく思われていると落ち込みもしますが、若さゆえの行動で店長と気持ちが通じていきます。
ある日、ファミレスの軒先のツバメの巣をヒナの巣立ちを待って撤去した時のエピソードを店長が教えてくれます。
「一羽だけなかなか飛び立たなくてねぇ。ヒヤヒヤしたもんだけど無事みんな巣立っていったよ。」
その話を聞いたあきらはこんな風に店長に尋ねます。
「もしも、仲間と一緒に飛び立てなかったら、そのツバメはどうなってしまうんでしょうか?」
毎日かつての陸上部の仲間が部活に励んでいる姿を横目に見ながら、それを避けるようにしてきたあきらは自分だけが取り残されてしまう様な寂しさと焦りのような気持ちが複雑に入り混じっていて思わず口をついてそんな質問を聞くともなく店長に投げかけます。
店長はその心情を察してこんな風に答えます。
「飛び立てなくてもその地に留まって得る幸せもあるかもしれないね、仲間たちのことも忘れて。」
「でもそのツバメの飛び立たなかった理由がただの諦めであったとしたら、きっと空を見上げることになる。」
「ずっと、永遠に。」
あきらは「なんちゃってね。」と照れながらはぐらかす店長にこう言います。
「私は店長の言葉が聞けて嬉しいです。」
「店長の言葉をもっと聞きたいですし、いつか店長の言葉を読んでみたいです。」
「店長がメモを取るのはいつか書く小説のためですよね。」
店長はあきらの言葉を聞いてどぎまぎして言います。
「こんな俺の?」
あきらは店長をまっすぐ見つめてこう言います。
「そんな店長だからです。」
「それから本当に飛ぶことを諦めたツバメはきっと空を見上げることも忘れてしまうでしょうから。」
あきらは自分のことを尋ねながら、店長が迷いながらも自分の道を進み続けていることを尊敬していることを伝えたいと思っているようです。
店長は心の中で呟きます。
「ツバメは知っている。雨の当たらぬ場所は陽の当たらぬ場所だと…。」
まだ店長の書く小説を読んだこともないあきらはこう伝えます。
「私、店長の書く小説、きっと好きです。」
あきらは迷いながらも自分なりに模索する気持ちの整理に寄り添ってくれている店長の人柄のにじみ出る言葉が何より好きなんだと思います。
そしてそのことに何のためらいもなくまっすぐにそのことを伝えてくるのです。
あきらにとっては「何でも知ってる大人」である店長かもしれませんが、店長もまた、揺らぐ気持ちの中で生きていて、あきらのまっすぐな言葉のひとつひとつが店長の心を大きく動かしているのです。
二人の間柄は「かけがえのない存在」になっていきます。
この作品で「二人の恋」という面では7話にクライマックスを迎えます。
7話の中で自分に強い恋心を抱いていることが決して偽物ではないということを店長も受け入れます。
あきらのあまりにもまっすぐな恋心が表現されていて、またそれに優しく答えようとする店長の包容力が素敵に描かれ二人の恋愛の形に感動してしまいます。
しかしながら、ここから先二人の恋が発展するかというとそういうわけではありません。
むしろこのツバメのエピソードのようにお互いかけがえのない存在になり、お互いを高めていくことにつながっていく関係になり純粋な恋愛的要素のエピソードはほとんど無くなり完結へと向かいます。
そんななか、店長は中途半端だった小説と真剣に向き合うことを決意します。
ちょっと照れながら小説を書き始めていることを語ります。
「文学に寄り添い生きると交わした自分との約束、これだけは果たしたいと思ってる。ふふっ」
そしてさりげなく帰り際のあきらに声を掛けます。
「もしかしたら…橘さんにもあるんじゃない?忘れている自分との約束が。」
立ち止まっているあきらの背中を優しく押してあげます。
そして、親友がいくら心を砕いても動かなかったあきらでしたが、店長の優しい言葉が心を動かして一歩を踏み出してみようと思い始めます。
あきらの溢れるほどの恋心というきっかけで二人を結びつけたお話ですが、この作品から「雨宿り」のように留まっている人が一歩をどうやって踏み出すか、それを人とのつながりで感じていくことの素晴らしさみたいなもの感じさせてくれます。
そして私自身この点が強く心に突き刺さり、心が揺さぶられました。
私もときどき現在の「好きなことをしていない自分」を想って心にさざ波が起きたりします。
でも日常との折り合いを付けるために心の奥底に封印したりして過ごしてきました。
でもこの作品を見て、やっぱりきちんと向き合いたいって思うようになりました。
この物語は最後には二人がきちんと「雨宿り」から雨上がりの空の下に歩き出していくところで完結しています。
私の雨宿りは今もなお続いていますが、私もその一歩を踏み出せるように、自分から逃げないようにしたいって、今思っています。。
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