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【突然?隣の朝ごはん!】 [懐かしの話]

ふと思い出した、私が子供の頃のお話を紹介したいと思います。

子供の頃、私の家は決して裕福ではありませんでした。

今考えれば絶望的に経済的に困窮していたわけではないように思えますが、子供の頃の私はそんな客観的な判断とは別に、とてもこのことをコンプレックスに感じていました。

特に父親が子供のころから存在していた古い家に住んでいたことと食生活が貧弱だったことをとても気にしていました。


確かに絶望的ではありませんでしたが、裕福ではなかったというか収入が少なかったということではこんなエピソードがあります。

父と母がまだ若かった頃のお話。

個人としては異例の税務調査を受けたということです。

税務署員が言うには、「こんな収入で家族が暮らせるわけがない。」

「だからきっと所得をごまかしているんだろう?」

という論理で調査を受けたということです。

私の父も母も『馬鹿』がつくほど正直者ですから、もちろんそんなことはしていませんでした。

とにかく「質素倹約」の家でした。

ですから税務署員の方々の様な高給取りの生活はしておらず、収入が沢山なくても成り立っていたのです。

この税務調査の時は、「実際生活しているんだ」と不器用な説明をしてお引き取り願ったようです。

母は「失礼な話だ」とちょっと不機嫌にそのことを教えてくれました。


さて、そんな我が家の食生活は本当に質素でした。

子供の頃、よく母からはこんな風に説明されました。

「上を見ればキリがない。下を見てもキリがない。だから人の家が贅沢してもウチはこれでいい。」

というようなことでした。

子供心に欲しいものを買ってもらったりメニューに名前のついている食事がしたいって思ったものですが、時々わがままを言っても従わざるを得ないと思っていました。

ご飯とみそ汁

ある日、小学校3年生くらいだったと思いますが家庭科の授業で食事について勉強することがありました。

栄養素がどうとか、そういうことです。

どんな食事にビタミンAが含まれているとか、そういうことを生徒に理解させるために先生は工夫してくれて生徒に今日の朝ごはんのメニューを発表させることになったんです。


何人か指されて今日の朝ごはんを紹介していきました。

私は授業で答えがわかるととにかく発表したくてうずうずしてしまう性格の生徒でしたが、その時ばかりは違いました。

私は心の中で『絶対俺を指すなよ』って祈ってました。


しかし、その思いもむなしく、私は先生に指され、今朝の献立をみんなの前で発表する羽目になりました。

「ごはん…。」

「ん、ごはんか?」

先生は、私の言葉を繰り返し、他のクラスメートの時と同じように、黒板に書きだしていきます。

「それから?」

私はできるだけゆっくりと、

「じゃがいも…。」

そう自信の無い声で続けました。

「ん、じゃがいも。」

黒板にじゃがいもと書き出されていきます。

「きゅうり…。」

また、黒板に…。

書き終えて、少し笑いながら振り返り先生は、

「はるくん、材料を聞いてるんじゃないよ。どんな献立って訊かれたら、肉じゃがとか、サラダとか、そうやって言うの、わかるでしょ?」

「はい…」

私は特にそのまま言い返しもせず返事だけしました。

そのまま先生は次の生徒を指して授業は進みました。

私はホッとしました。


その日はじゃがいもの味噌汁とおしんこだけの朝ごはん、いつもそんな感じだったので、それを知られたくなかったのでそんな風に答えました。

貧乏に対して極度なコンプレックスを持っていた私は食生活の貧弱さが貧乏の証しみたいな気がしていたので、とにかくその時は『我が家の献立』を知られたくなかったのです。

ウソをついて適当に言っても良かったのですが、何故かそれはできませんでした。

困った挙句に、あの様に材料を並べ立てることにしたんです。

それが質問の意味とちぐはぐなのはわかっていたけれど、味噌汁とおしんこ、って言うのが、当時の子供心には、『決定的』な気がしたんです。

今考えれば、そう大したことではないですが、当時の私は本当にこんなことをクラスメートに知られるのは一大事って考えたんです。

そして、今考えると…

ウソをついてしまうのも、我が家の今朝の献立を知られてしまう以上に私のコンプレックスを傷つけるものだと思ったんではないかと思います。

それをやってしまったら、『本当に負け』みたいな…。


子供ってときどき思いもよらないことを言う時がありますが、大人には理解できなくてもいろんな葛藤の中で自分なりの優先順位で決定して言葉を選ぶ時がある、そんな風に思います。

そして恐らく30年も経っても私がそのことについて覚えているということは、きっとそういうことって本人の中では結構大事なことだったりするのかなって。


私は子供の頃、好きな料理を食べて無くなってしまうと、文字通りお皿を舐めたり、大好きな梨を食べてしまうと皮にこびりついている身を食べようとするような、はしたない子供でした。

それはよく子供がやってしまうことだったと思います。

でも父親は子供がそういうことをしているのを見るととてもいやがり注意されました。

子供は別にひもじくてやっているのではないのですが、父はそういう姿を見るのが嫌だったのかもしれません。

父は子供の生活に口うるさくいう父親ではありませんでしたが、「みみっちぃ」ことをすることにだけは口うるさかった気がします。


今思うと…

あの時、朝の献立をウソを言ってしまったら「負けだ」って、私が思ったように、「それをやったら負け」みたいな、『父のライン』だったのかも?と、ふと思いました。


私は父のこういうところが好きでした。

裕福じゃなくても、そのことを愚痴ったりせず、いつも節約するにはどうするかを考え実行する人でした。

決して強い上昇志向があるとかそういうんじゃないのだけれど、だからと言って諦めムードでもない。

そして、あるものの枠内でどうにかする、そういうのが好きでした。

前にもお伝えしたかもしれませんが、昔のドラマ『北の国から』に出てくる主人公純のお父さん、黒板五郎さんにイメージがちょっと重なるんですよね。

『ぼろは着てても、心は錦』って言葉がありますが、ちょっと、いや、だいぶニュアンスが違うんですよね。

なんとも表現しづらいですが、もっと黙々としたというか、いちいち人に言わず、黙々と自分のスタイルを貫くような…。


ちなみに学生時代に、たばこを買いに行くのが面倒で、シケもく(一度吸ったタバコ)を父親の前で吸ったことがあります。

その時は父親に「そんなことするなら、タバコなんか吸うのやめちまぇ!」ってスゴイ剣幕で怒られたことがあります。

きっと父のスイッチが入ったんだと思います。

その時は、「別に金がないとかじゃなくて…」と、言い訳しましたが、「そんなことは関係ないっ!」って更に怒らせてしまいました。


さて、食事に話に戻しますと…

私は旅行会社の営業マン時代、とても安月給で家賃2万6千円のおんぼろアパートに住んでましたが、食費を削るということだけはしませんでした。

ほぼ全部を外食していました。

面倒とかではなく、『メシだけはちゃんとしたものを食いたい』って思っていたのです。

過酷な重労働でしたから、それは私の生活を支えていたので病気にもならず良かったのかもしれませんが、私は健康を気遣ってそうしていたわけではなく、どんなに質素な生活をしてても、『メシだけは人並みに…』

そんな欲求が根底にあったのではないかと思います。

それは、その後もずっと続きました。

結婚しても同様でした。

決して贅沢な食事をすることもありませんでしたが、食費を切り詰めることだけはしませんでした。

私の中では、食事ってそういうものなんだと改めて思います。

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