【「ダイヤブロック」~ 一生に一度のサンタのプレゼント ~】 [懐かしの話]
だんだんと街はクリスマスムードになってきましたね。
今年はまだ聴いていない様な気がしますが、そろそろ山下達郎の『クリスマス・イブ』やワム!の『ラストクリスマス』が流れてくるんでしょうね。
「これでもか!」って言うくらい流れますが、私はどちらの曲も好きなので悪くない気分になります。
皆さんにとってのクリスマスソングってどんな曲なんでしょうか?
ユーミンの『恋人はサンタクロース』やマライア・キャリーの『恋人たちのクリスマス』、稲垣潤一の『クリスマスキャロルの頃には』なんてのも定番ですね。
さて子供たちは、サンタクロースからのプレゼントが何よりも楽しみですよね。
皆さんには、『思い出のクリスマスプレゼント』ってありますでしょうか?
私は、『ダイヤブロック』が思い出のプレゼントです。
何故かと言いますと、子供の頃にもらった唯一のクリスマスプレゼントだからです。
我が家は神道と仏教を基本とした家庭でしたので、クリスマスを祝うという風習はありませんでした。
別に神道や仏教がバリバリに浸透していた家庭というわけではありませんでしたが、クリスマスは伝来することはありませんでした。
ですから、思い出の『ダイヤブロック』もサンタクロースにもらったわけではなく、父親と一緒にオモチャ屋さんに買いに行ったのです。
サンタさんも伝来していないところには来ることが出来なかったんでしょうね(^^;
ちなみにそんな家庭で育った私達兄弟ですが、兄も私もキリスト教の幼稚園に通っていました。
はっきり理由はわかりませんが、月謝が安く教材やお揃いの衣類がほとんどなくコストパフォーマンスから選択されたのではないかと勝手に想像しています。
ですから私は讃美歌も歌いましたし、毎日イエス様にお祈りをしていました。
毎日一つづつ増えていくお祈りのフレーズを一生懸命に憶えたというところまでは憶えていますが、フレーズは一つも思い出せません(^^;
ただ音楽だけは体に染み付いているのです。
ですから私にとっては、思い出のクリスマスソングは『もろびとこぞりて』です。
当時は全く意味が判らず歌っていましたが…
さて、そんな幼少期の私のクリスマスでしたが、とても楽しみな日でした。
クリスマスツリーもクリスマスケーキもプレゼントもないクリスマスでしたが、クリスマスには毎年お寿司をとってくれたからです。
私の中では、『ご馳走』と言えば『出前のお寿司』がずっと不動の地位を占めていました。
ですから私にとってはクリスマスって、『世界で一番おいしい食べ物が食べられる日』だったのです。
父は大してお寿司には手をつけず、熱燗をちびちびやりながら、「ほら、食え、ほら、食え」という感じでした。
がつがつとお寿司を食べる子供の姿を見るのが何よりのご馳走だったのかな?なんて、今は思うことがあります。
そんな、『純和風』な我が家の聖夜でしたが、そうは言ってもクリスマスケーキやトリのもも肉などが食卓を飾ることもごく稀にありましたので実は多少は我が家にもクリスマスは伝来していたのかもしれません。
ただ、ホントに稀でした。
それにひきかえ、『出前のお寿司』は、クリスマスには絶対!でした。
皆様は、どの様にお過ごしになりますか、今年のクリスマス…
当ブログを初めてご訪問の方でご興味ある方は是非どうぞご覧ください。
今年はまだ聴いていない様な気がしますが、そろそろ山下達郎の『クリスマス・イブ』やワム!の『ラストクリスマス』が流れてくるんでしょうね。
「これでもか!」って言うくらい流れますが、私はどちらの曲も好きなので悪くない気分になります。
皆さんにとってのクリスマスソングってどんな曲なんでしょうか?
ユーミンの『恋人はサンタクロース』やマライア・キャリーの『恋人たちのクリスマス』、稲垣潤一の『クリスマスキャロルの頃には』なんてのも定番ですね。
さて子供たちは、サンタクロースからのプレゼントが何よりも楽しみですよね。
皆さんには、『思い出のクリスマスプレゼント』ってありますでしょうか?
私は、『ダイヤブロック』が思い出のプレゼントです。
何故かと言いますと、子供の頃にもらった唯一のクリスマスプレゼントだからです。
我が家は神道と仏教を基本とした家庭でしたので、クリスマスを祝うという風習はありませんでした。
別に神道や仏教がバリバリに浸透していた家庭というわけではありませんでしたが、クリスマスは伝来することはありませんでした。
ですから、思い出の『ダイヤブロック』もサンタクロースにもらったわけではなく、父親と一緒にオモチャ屋さんに買いに行ったのです。
サンタさんも伝来していないところには来ることが出来なかったんでしょうね(^^;
ちなみにそんな家庭で育った私達兄弟ですが、兄も私もキリスト教の幼稚園に通っていました。
はっきり理由はわかりませんが、月謝が安く教材やお揃いの衣類がほとんどなくコストパフォーマンスから選択されたのではないかと勝手に想像しています。
ですから私は讃美歌も歌いましたし、毎日イエス様にお祈りをしていました。
毎日一つづつ増えていくお祈りのフレーズを一生懸命に憶えたというところまでは憶えていますが、フレーズは一つも思い出せません(^^;
ただ音楽だけは体に染み付いているのです。
ですから私にとっては、思い出のクリスマスソングは『もろびとこぞりて』です。
当時は全く意味が判らず歌っていましたが…
さて、そんな幼少期の私のクリスマスでしたが、とても楽しみな日でした。
クリスマスツリーもクリスマスケーキもプレゼントもないクリスマスでしたが、クリスマスには毎年お寿司をとってくれたからです。
私の中では、『ご馳走』と言えば『出前のお寿司』がずっと不動の地位を占めていました。
ですから私にとってはクリスマスって、『世界で一番おいしい食べ物が食べられる日』だったのです。
父は大してお寿司には手をつけず、熱燗をちびちびやりながら、「ほら、食え、ほら、食え」という感じでした。
がつがつとお寿司を食べる子供の姿を見るのが何よりのご馳走だったのかな?なんて、今は思うことがあります。
そんな、『純和風』な我が家の聖夜でしたが、そうは言ってもクリスマスケーキやトリのもも肉などが食卓を飾ることもごく稀にありましたので実は多少は我が家にもクリスマスは伝来していたのかもしれません。
ただ、ホントに稀でした。
それにひきかえ、『出前のお寿司』は、クリスマスには絶対!でした。
皆様は、どの様にお過ごしになりますか、今年のクリスマス…
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ありがとうございました <(_ _)>
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