【「読んでくれる人がいる」と思うとワクワクする それが私にとってのブログ】 [ブログ運営]
私にとってブログは自分の書いた文章を不特定多数の方々にご覧になって頂くという、インターネットが普及されていない時代ならとっても難しいことを実現してくれるとても貴重な場です。
私は修学旅行委員会の副委員長として修学旅行の文集の前書きだか学年通信みたいなものの記事だかで人様に見せる文章を書けと指示されたのです。
高校になると作文なんて書く機会もなく、(せいぜい夏休みの宿題の読書感想文くらいで相変わらずほとんどあらすじで構成されていました)久しぶりに書いた文章だった気がします。
その時は何だか筆が進み結構評判が良くて「意外だな」的な評価を先生や友人、家族から受けたのが印象に残っています。
それまで別に読者なんて意識せず義務感で書かされていた「文章を書くこと」が…
人に「何かを伝えたくて書き」、それに対して「リアクション」があるってことは、結構面白いことだって思いました。
もちろん、それは「自分が伝えたいこと」ではなく仕事で必要な業務連絡がほとんどですが、そんななかで私の思いが詰まっていたのは旅行募集のパンフレット作りです。
自分で企画して募集するパンフレットは、少ない語彙とアイデアで小さな限られたスペースに言葉をつづっていくのですが、今ほど便利なツールもなくなかなか苦労した思い出があります。
それでも、そのパンフレットを見て、安くはないお金を払って参加してくれるお客さんがいらっしゃるということはとてもうれしかったです。
私が旅行会社の仕事が好きだったのは、こうやって自分の作業がダイレクトにレスポンスがあるところでした。
もちろん、ダメなときもダイレクトでそれはそれで辛いのですが…。
過去記事【Win95は健在だった…そして思い出が詰まった宝箱が開いた】で触れましたが、恐る恐る始めたインターネットで「ホームページ」を個人が開設できることを知り始めてみました。
まだ「ブログ」という言葉もない時代、ホームページを開設して全く知らない不特定多数(読者は決して多数ではありませんでしたが…)の方に「自分で書いたものを見てもらう」という体験は私にとって大きな出来事でした。
その後、ブログ、ツイッターをはじめとしたSNSがこの世に登場し、個人が世の中に様々なことを発信することが珍しくない時代が到来しました。
そんな時代の到来も私の脇を普通に通り過ぎていきました。
今まで知ることのできない情報をもたらしてくれる「便利な道具」というポジションで私とインターネットがつながっていました。
そんな私がある日、「ブログでも始めてみようか?」。
気まぐれなきっかけで始めたのに、私はこの「ブログの感じ」が好きになっていきました。
ホームページを運営していた頃は、インターネットを介して知らない人を知り合えることがとても楽しく感じていました。
実際にオフ会というものも体験しました。
日本全国の人と一同に会した事実にビックリもしながら楽しさを感じてもいました。
今振り返ると運営するサイトは「何かを発信する」ことが目的ではなく「知らない人と知り合うためのツール」と捉えていた様に感じます。
しかしブログは「何かを発信する」ツールであると感じています。
ホームページを運営していた時とは明らかに違う印象を持ちました。
そしてブログを続けていくうちに変わっていきました。
こうしてパソコンのキーボードで文章を打ち込んでいる時、私は「見えない誰か」が私の発信する記事を読んでくれることを想像しながらワクワクしているのです。
「何かを発信すること」が楽しいと感じています。
ホームページ運営時代はサイト訪問者のコメントをいつも楽しみにしていましたが、現在の私はブログにそういうことはあまり重要ではありません。
誰がどんな風な感想を持って私のブログを読んだいるのかもほとんどわかりません。
でも…。
私はブログの記事の「その後」をとても気にしながら運営しています。
その基準のひとつが「どのくらいの人に読まれたか」ということです。
そして、どのくらいの時間をかけて読んでくれたのか?
私はコメント欄に書かれる記事の感想の代わりに、アクセス数の推移やアクセス時間の分析値、当ブログへ到達した検索ワード等を見ながら、読者の方々と「対話」をしています。
こんな風な付き合い方が私の性分にとても合っているのです。
この方のブログはある事柄について簡潔でいて理路整然とわかりやすく、思わず『納得!』となってしまうのに説明的でなく読んでいて楽しめるというものです。
私もこんなブログが書けたらなって、憧れのブログになっています。
人それぞれ感じ方も違うのかもしれませんが私の琴線に触れたのは確かです。
何故この様に私の琴線に触れたのかを分析してみました。
とても緻密な考えが披露されていて納得させられてしまうのですが、文章の雰囲気からブログに書かれた考えに到達するまでにあれこれ「思考の試行錯誤」を積み重ねた後の「現状での最善の解」が書かれていると感じられるからなかなぁと思っています。
私はこの方の文章を読むと「なるほどそんな見方もあるのか…」と新たな発見があり、自分のなにがしかの肥やしになると思うと同時に楽しみながら文章を読むことができます。
今の私が感じるように読み手の方に感じてもらえるように、私も「何か」を書きたいなぁ、って思っています。
もちろん、題材や文章の言い回しは私なりのスタイルで書いていきたいとは、思うのですが、楽しみながら読めて、何かしらその人に残るものがあるような…
そんなものを目指してみたいと思います。
いろいろ試行錯誤していくかと思いますが、温かく見守っていただけたらと思います。
これからもよろしくお願いします。
<(_ _)>
読み手を意識して書いたは高校時代の修学旅行がきっかけだった
過去記事【作文、日記、私の場合…】では私の子供時代の作文嫌いについて書きましたが、私が初めて読み手を意識して書いた文章って何かな?って思い起こしてみると、恐らく高校3年生の時のものだと思い当たります。私は修学旅行委員会の副委員長として修学旅行の文集の前書きだか学年通信みたいなものの記事だかで人様に見せる文章を書けと指示されたのです。
高校になると作文なんて書く機会もなく、(せいぜい夏休みの宿題の読書感想文くらいで相変わらずほとんどあらすじで構成されていました)久しぶりに書いた文章だった気がします。
その時は何だか筆が進み結構評判が良くて「意外だな」的な評価を先生や友人、家族から受けたのが印象に残っています。
それまで別に読者なんて意識せず義務感で書かされていた「文章を書くこと」が…
人に「何かを伝えたくて書き」、それに対して「リアクション」があるってことは、結構面白いことだって思いました。
喜びを感じることができた旅行会社時代のパンフレット作り
その後は仕事でもたくさんの文章を書きました。もちろん、それは「自分が伝えたいこと」ではなく仕事で必要な業務連絡がほとんどですが、そんななかで私の思いが詰まっていたのは旅行募集のパンフレット作りです。
自分で企画して募集するパンフレットは、少ない語彙とアイデアで小さな限られたスペースに言葉をつづっていくのですが、今ほど便利なツールもなくなかなか苦労した思い出があります。
それでも、そのパンフレットを見て、安くはないお金を払って参加してくれるお客さんがいらっしゃるということはとてもうれしかったです。
私が旅行会社の仕事が好きだったのは、こうやって自分の作業がダイレクトにレスポンスがあるところでした。
もちろん、ダメなときもダイレクトでそれはそれで辛いのですが…。
インターネットに出会って始めた「ホームページ」
私がインターネットというものの存在を知ったのは20代の頃、パンフレット作りにまい進していた旅行会社の営業マン時代でした。過去記事【Win95は健在だった…そして思い出が詰まった宝箱が開いた】で触れましたが、恐る恐る始めたインターネットで「ホームページ」を個人が開設できることを知り始めてみました。
まだ「ブログ」という言葉もない時代、ホームページを開設して全く知らない不特定多数(読者は決して多数ではありませんでしたが…)の方に「自分で書いたものを見てもらう」という体験は私にとって大きな出来事でした。
情報を入手するためのインターネットが発信するツールになった日
ホームページを立ち上げても沢山の人に見てもらう手段を知らず、いつしか自然消滅することになりました。その後、ブログ、ツイッターをはじめとしたSNSがこの世に登場し、個人が世の中に様々なことを発信することが珍しくない時代が到来しました。
そんな時代の到来も私の脇を普通に通り過ぎていきました。
今まで知ることのできない情報をもたらしてくれる「便利な道具」というポジションで私とインターネットがつながっていました。
そんな私がある日、「ブログでも始めてみようか?」。
気まぐれなきっかけで始めたのに、私はこの「ブログの感じ」が好きになっていきました。
ホームページを運営していた頃は、インターネットを介して知らない人を知り合えることがとても楽しく感じていました。
実際にオフ会というものも体験しました。
日本全国の人と一同に会した事実にビックリもしながら楽しさを感じてもいました。
今振り返ると運営するサイトは「何かを発信する」ことが目的ではなく「知らない人と知り合うためのツール」と捉えていた様に感じます。
しかしブログは「何かを発信する」ツールであると感じています。
ホームページを運営していた時とは明らかに違う印象を持ちました。
そしてブログを続けていくうちに変わっていきました。
こうしてパソコンのキーボードで文章を打ち込んでいる時、私は「見えない誰か」が私の発信する記事を読んでくれることを想像しながらワクワクしているのです。
「何かを発信すること」が楽しいと感じています。
ホームページ運営時代はサイト訪問者のコメントをいつも楽しみにしていましたが、現在の私はブログにそういうことはあまり重要ではありません。
誰がどんな風な感想を持って私のブログを読んだいるのかもほとんどわかりません。
でも…。
私はブログの記事の「その後」をとても気にしながら運営しています。
その基準のひとつが「どのくらいの人に読まれたか」ということです。
そして、どのくらいの時間をかけて読んでくれたのか?
私はコメント欄に書かれる記事の感想の代わりに、アクセス数の推移やアクセス時間の分析値、当ブログへ到達した検索ワード等を見ながら、読者の方々と「対話」をしています。
こんな風な付き合い方が私の性分にとても合っているのです。
なかなか文章を書くのが上手くならないけど、これからも続けていきたい
私は最近ある方のブログを楽しみに読んでいます。この方のブログはある事柄について簡潔でいて理路整然とわかりやすく、思わず『納得!』となってしまうのに説明的でなく読んでいて楽しめるというものです。
私もこんなブログが書けたらなって、憧れのブログになっています。
人それぞれ感じ方も違うのかもしれませんが私の琴線に触れたのは確かです。
何故この様に私の琴線に触れたのかを分析してみました。
とても緻密な考えが披露されていて納得させられてしまうのですが、文章の雰囲気からブログに書かれた考えに到達するまでにあれこれ「思考の試行錯誤」を積み重ねた後の「現状での最善の解」が書かれていると感じられるからなかなぁと思っています。
私はこの方の文章を読むと「なるほどそんな見方もあるのか…」と新たな発見があり、自分のなにがしかの肥やしになると思うと同時に楽しみながら文章を読むことができます。
今の私が感じるように読み手の方に感じてもらえるように、私も「何か」を書きたいなぁ、って思っています。
もちろん、題材や文章の言い回しは私なりのスタイルで書いていきたいとは、思うのですが、楽しみながら読めて、何かしらその人に残るものがあるような…
そんなものを目指してみたいと思います。
いろいろ試行錯誤していくかと思いますが、温かく見守っていただけたらと思います。
これからもよろしくお願いします。
<(_ _)>
スポンサーリンク
スポンサーリンク