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【強迫観念に支配されない 悩んだ時に読む処方箋】 [コラム集 「TAWAGOTO」]

人は時として「ポジティブな思考であらねばならぬ」といった強迫観念にとりつかれるような気がしています。

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私自身の経験で言えば学生時代、就職しなければならない時にそのような経験をしました。

仕事に関して将来の夢とか、目標とか、ライフプランとか、そんなものは全くありませんでした。

仕事なんて生きていくために仕方なくやるもんだって思っていたのです。

私は人より体も小さいし、特殊技能なども磨いてきたわけでもありませんし、せめて学校の勉強くらいは一生懸命やって人並みになろうと努力はしてきました。

でも別にいい学校に行こうとか、いい会社に行こうなんて気もあまりないし、そこそこの仕事にそこそこありつければいいやって思っていました。

でも周りの友人たちが就職活動を始めると、どんな些細な理由でもみんなそれなりに理由をもって会社を選んでいて、大きければ安心だとか、有名な会社なら潰れないだろう、くらいしか選択の理由が見当たらない自分が『なんて情けない奴だ』と思うようになりました。

自分も「やりたいこと」とか「なりたい自分」がないといけないって、そうしないと「悪」なんだってだんだんと思うようになりました。

最初は自己啓発の本を読んだりしていたのですが、いろいろなことが一気に押し寄せてきたようで自分で受け止めきれなくなりました。

そうすると、だんだんと今まで生きてきた自分を完全否定するようになり、すべてが嫌になっていきました。

それまで楽しくやっていればいいやって感じで生きてきたのに、何だか全てが虚しく何もかもにやる気がなくなって学校に行くのも嫌になりました。

もう学校も辞めてしまおうかと真剣に思いました。

真面目に人生なんてものを考えることに免疫がなさ過ぎたのだろうと思います。

私はバブル絶頂の時期に就職の季節を迎えましたので甘ったれていたのかもしれません。

きっと今みたいに就職難の時代ならこんなこと思わなかったかもしれません。

とにかく私は「きちんと人生と向き合わなければならない」とか「きちんとした考えを持っていないと生きている資格がない」というような強迫観念にとらわれていき、次第に精神的にバランスを崩していきました。

そうなっていない人から見れば取るに足らないことかもしれませんが、当時の私は完全に精神不安定な状態でした。

起きていると考えがどんどん内向的になり、自分の過去とか現在のふがいなさとかがぐるぐると巡り人と接していても些細なことをすべて自分の「悪いところ」と結び付けて考えて人と接するのも怖くなるほどでした。

だからいつも早く寝てしまいたいと思いました。

堂々巡りする思いから逃れたくていつも早寝をしていました。

学校とか用事があるとき以外はずっと寝ていたいって思いましたが夜明け頃には目が覚めて眠れませんでした。

起きている間はずっと苦しくて辛かった時間でした。

友人からは「しっかりしている」とか「自分の考えが揺らがない奴」と思われていたようですが、たったこれだけのことで人は簡単にぐらぐらして崩壊してしまうんだなって自分自身で体験しました。

真剣に精神科の治療に行こうかどうかも何度も迷いました。

状況としては、恐らく自律神経失調症だったのだと思います。

私は最後の頼みの綱のつもりで高校時代の担任の先生に電話をして会って欲しいとお願いしました。

会って今の自分の状態をありのままに話をしてそれでも状況が好転しなければ、お医者さんの世話になろうと思い詰めていました。

その先生は私が突然電話をして、

「すぐに会いたい」

なんて、ただ事ではないと感じて何も聞かずに今すぐ来いと言ってくれました。

私は支離滅裂な訴えを聞いてもらい、ちょっとだけすっきりしましたが、決して状況は良くなったわけでもありませんでした。

先生は「自分を取り戻すまでには時間がかかるな」と判断されたんだと思います。

「暇だからそんなこといろいろ考えるんだ。これから休みの日にはうちに来て仕事を手伝え。」

と言い、私を自宅に招いてくれました。

私は毎週日曜日になると先生のご自宅に伺いワープロのテープ起こしなどの先生の手伝いをしたり、セミナーに一緒に連れて行ってもらったりしました。

ご家族と一緒に食事をごちそうになったりもしました。

平日は相変わらず、対人恐怖症のような状態でしたが週末はこの先生のお蔭で少し気が紛れました。

少しずつ精神的に落ち着きを取り戻し、何とか学校を卒業することも就職することもできました。

私はこの強迫観念の延長それまでの学校の専攻とはまったく違う「旅行会社」という道を選んだのです。


人は悩みながら成長すると思います。

私のこの時の一連の行動は人にいろいろと迷惑をかけることになったのですが、この時の経験は人生を見つめるきっかけにもなりましたし、自分がとても弱い人間だということも思い知ることができました。

私にとって、この時の出来事はその後を生きるのに糧にはなったと思います。


でも…

私はもしかしたらあのまま潰れていたかもしれません。

私の担任の先生は、とても私のことを考えてくれましたし、きっといろいろな生徒を相手にして立ち直らせる勘所をよくご存知だったのかもしれません。

でも、もしかしたら私がこの後、病院に行って、精神の病で医者の世話になったとかその様な自分を気に病んで、常に何かを引きずってしまうような人間になっていたかもしれません。

私はたまたまうまくいったからといって自分の許容量を超えたことを突き詰めて考えるようなことが必ずしもいいことばかりだとは思いません。

確かに「ポジティブに生きることは素晴らしい」ことだと思います。

でも状況によって、それまでの環境によって、学んだ知識によって、会った人によって、そんなに上手にポジティブになれないこともあると思います。

なれない人もいると思いますし、なれないタイミングである場合もあると思います。


もし人と比べたりして「自分ってなんだか情けない」とか、「もっとちゃんとしなくちゃ」って思った時に必要以上に悩み過ぎないことをお勧めします。

夢を持っていなかったり、ポジティブでないからと言って、自分を責めたりしないで欲しいと思います。

人にはそれぞれいろいろな許容量、思いを馳せるキャパシティのようなものがあると思います。

人があれこれ難しいことを考えているからといって自分がそんなに難しいことを考えていないからといって卑下する必要なんてないと思います。

自分ができる範囲でやればいいと思います。

確かに人は悩みながら成長すると思います。

でも悩み過ぎて成長するどころか自分を潰してしまうことだってあります。

誰もが、みんな素敵な夢なんか持って生きてるわけでもありません。

誰もが、何でも話せる友達を持っているわけでもありません。

そんな風に「理想の何か」に追われるように、自分を無理やり「こうあるべきだ」と責めないで欲しいと思います。

本当に自分にとって必要なことなら、「時」が来れば、

考えなくても自然に自分から体が動いてしまうことでしょう。

私はあの時の自分を思い出すとき自分のことを人と比べて悩んでいる人に「こうあるべき自分」なんてどこにもないと言いたいです。

先述の先生をはじめ、当時の私を支えてくれた周りの人たちに感謝します。

当時の彼女、今の妻ですが、きっと自分の彼氏があれほどまでに精神的に参ってしまってきっと戸惑いどうしていいかわからなかったと思います。

それでも「どうすべきだ」と一言も言わずに、先生の家に訳も分からず一緒に来てくれたりしたこと心から感謝しています。

心が弱っているときに「~した方がいい」って言われても、きっとますます心が弱ってしまっていたでしょうから…

◆ 「ふと思ったこと」や「自分の考え方を整理する」意味で書き綴ったコラムです。
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