【好き嫌いを言って何が悪い? 「嫌いなものを好きになれ」という無理難題】 [コラム集 「TAWAGOTO」]
「好き嫌いをなくしましょう!」って、割と普通に言われますよね。
私は「好き嫌いの感情を持つことが悪」と言っている様に聞こえて、「好き嫌いをなくしましょう」という言葉にかなり抵抗があります。
ちょっと言葉遊びや屁理屈みたいになってしまいますが、例えばニンジンが嫌いな子に「好き嫌いはダメよ、ニンジンも食べなさい!」って、言うときに子供に言うべきこと、伝えるべきことはその子供がニンジンが嫌いであることを諌めることではなく、
「ニンジンを食べること」
だと私は思うのです。
栄養に偏りなく食事をすること、用意された食材を無駄にしないこと、贅沢言わず、
「ガタガタ言わず、出されたものをさっさと食べろ!」
ってことだと思います。
「好き嫌いはダメよ」って言う時に、
「好き嫌い」そのものを無くすべきと言っているのか、「好き嫌い」から生じる『偏食』という「弊害」が悪と言っているのかをあいまいにして欲しくないのです。
当然、好き嫌いを無くせば弊害である『偏食の元』を絶てるので効果は高いです。
そのため「好き嫌いを無くせ」というのが本意なのかもしれませんが、「好き嫌い」という感情を無くせって私にはちょっと『無理難題』な感じがするのです。
確かに食べ物は『食わず嫌い』ということもありますし、『食べてるうちに好きになる』ということもあります。
でも「食べてみたら美味しい」とか、「最初嫌いだったけど食べてるうちに好きになった!」って感じるのは、その本人が感じることであって『人から強制される』ようなものではないと思うのです。
『躾け』として、嫌いな食べ物でも食べさせるのは必要なことだと思いますし、「見た目などで食わず嫌いになっているものを好きになるきっかけ」を与えることも周りの大人として必要なことかもしれません。
でもちょっと大げさな言い方をすると「嫌いなものを好きになれ!」なんて言う権利、あるのかな?って思います。
親ならまだしも赤の他人がそう簡単に言えることじゃない…、そう思うんです。
翻って…
人間関係についても同じようなことってある様な気がしてます。
「何で〇〇ちゃんのことを好きになれないの?」とか、ちょっと無理難題ですよね。
幼児期など他者の認識能力が低いうちはともかくとして、ある程度分別がつくようになったら子どもであっても「嫌いな奴がいること」を悪だなんて言っちゃまずいような…。
だって大人になったらそんなの普通にあることですから…。
しかも嫌いになるのなんてそんなに大した理由がなかったりするわけですから…。
まぁ「嫌いになる」というより、「好きになれない」と言った方がしっくりきますでしょうか…。
「虫が好かない」奴なんて一人や二人、誰でもいるもんじゃないかと思います。
そんな好き嫌いって正直いって、みんな『胸の内に秘めておくもの』です。
ことさらに表だってそんな話をするなんて、「はしたない」ような…。
子供の世界だって、ある程度の年齢になれば苦手な奴とだって日常生活をうまく折り合いをつけながらやっていかなきゃならないことぐらい大抵理解して実践していると思います。
そういうことができないと、衝突したり、人間関係のトラブルに発展することが多いと思います。
そんなときに「どうして好きになれないの?」なんて言われたら、その子(その人)はどうしていいか、かなり悩むんじゃないかなと…。
「嫌いな奴と適当に折り合いをつけてうまくやっていく」なんてことが苦手な子供(大人でもいると思いますが)は日常生活がしんどいだろうなぁとは思いますが、「好きになれ」って言われるよりはましかなぁって、思います。
私は人間関係において「好き嫌い」って人間として当たり前の感情だと思っています。
人はそもそもそれぞれ違う考えを持って生きているもので好き嫌いが出るのも当たり前です。
それでも集団で生活していれば、うまく付き合っていく必要があります。
だから嫌いな奴とも適当につきあっていく術を持つことが大事なのです。
我慢することも必要です。
食べ物にも「食わず嫌い」がある様に人間関係にもその人のことを良く知らなかったために好きになれなかった、なんてこともあると思います。
私自身、深く付き合ってその人のことを良く知るようになって、「意外にいい奴だな」って考え直したような経験もあります。
でも、その反対に決定的な理由はなくても「どうも好きになれない」人もいます。
好きとか嫌いとかって、理由なんてないんです。
どうしても、好きになれないのは生理的にダメなんで、
「理由がなく、人やモノを嫌いになるのはいけないこと」なんて、言われたら、
大げさに言ったら、「自分を否定」されているのに等しい、私はそんな風に考えています。
「嫌い」とか「気に入らない」というだけの理由で、ひどい言葉を浴びせたり、暴力をふるったり、仲間外れにしたり、そんなことをするのは許せない行為です。
もし、そのようなことをする子供がいるのなら大人はきちんといけないことだとして止めさせるべきだと思います。
ただ…、それでも…、
「その子を嫌いだということ」まで否定する権利は誰も持っていないと思います。
嫌いな子に対しても暴力をふるったりすることは許されないということをきちんと教えたり、嫌いな食べ物でもきちんと食べないと栄養が偏ってしまうから、それは贅沢だから、と我慢して食べなければいけないことをきちんと教えられる大人になりたいです。
それと同時に…、
もし誰かのことを嫌いになってしまっている自分に嫌悪感や罪悪感でも持っている人がいたら、「そんなの当たり前のことですよ、気にする必要ないですよ。」
って言える大人でもありたいと思います。
私は「好き嫌いの感情を持つことが悪」と言っている様に聞こえて、「好き嫌いをなくしましょう」という言葉にかなり抵抗があります。
ちょっと言葉遊びや屁理屈みたいになってしまいますが、例えばニンジンが嫌いな子に「好き嫌いはダメよ、ニンジンも食べなさい!」って、言うときに子供に言うべきこと、伝えるべきことはその子供がニンジンが嫌いであることを諌めることではなく、
「ニンジンを食べること」
だと私は思うのです。
栄養に偏りなく食事をすること、用意された食材を無駄にしないこと、贅沢言わず、
「ガタガタ言わず、出されたものをさっさと食べろ!」
ってことだと思います。
「好き嫌いはダメよ」って言う時に、
「好き嫌い」そのものを無くすべきと言っているのか、「好き嫌い」から生じる『偏食』という「弊害」が悪と言っているのかをあいまいにして欲しくないのです。
当然、好き嫌いを無くせば弊害である『偏食の元』を絶てるので効果は高いです。
そのため「好き嫌いを無くせ」というのが本意なのかもしれませんが、「好き嫌い」という感情を無くせって私にはちょっと『無理難題』な感じがするのです。
確かに食べ物は『食わず嫌い』ということもありますし、『食べてるうちに好きになる』ということもあります。
でも「食べてみたら美味しい」とか、「最初嫌いだったけど食べてるうちに好きになった!」って感じるのは、その本人が感じることであって『人から強制される』ようなものではないと思うのです。
『躾け』として、嫌いな食べ物でも食べさせるのは必要なことだと思いますし、「見た目などで食わず嫌いになっているものを好きになるきっかけ」を与えることも周りの大人として必要なことかもしれません。
でもちょっと大げさな言い方をすると「嫌いなものを好きになれ!」なんて言う権利、あるのかな?って思います。
親ならまだしも赤の他人がそう簡単に言えることじゃない…、そう思うんです。
翻って…
人間関係についても同じようなことってある様な気がしてます。
「何で〇〇ちゃんのことを好きになれないの?」とか、ちょっと無理難題ですよね。
幼児期など他者の認識能力が低いうちはともかくとして、ある程度分別がつくようになったら子どもであっても「嫌いな奴がいること」を悪だなんて言っちゃまずいような…。
だって大人になったらそんなの普通にあることですから…。
しかも嫌いになるのなんてそんなに大した理由がなかったりするわけですから…。
まぁ「嫌いになる」というより、「好きになれない」と言った方がしっくりきますでしょうか…。
「虫が好かない」奴なんて一人や二人、誰でもいるもんじゃないかと思います。
そんな好き嫌いって正直いって、みんな『胸の内に秘めておくもの』です。
ことさらに表だってそんな話をするなんて、「はしたない」ような…。
子供の世界だって、ある程度の年齢になれば苦手な奴とだって日常生活をうまく折り合いをつけながらやっていかなきゃならないことぐらい大抵理解して実践していると思います。
そういうことができないと、衝突したり、人間関係のトラブルに発展することが多いと思います。
そんなときに「どうして好きになれないの?」なんて言われたら、その子(その人)はどうしていいか、かなり悩むんじゃないかなと…。
「嫌いな奴と適当に折り合いをつけてうまくやっていく」なんてことが苦手な子供(大人でもいると思いますが)は日常生活がしんどいだろうなぁとは思いますが、「好きになれ」って言われるよりはましかなぁって、思います。
私は人間関係において「好き嫌い」って人間として当たり前の感情だと思っています。
人はそもそもそれぞれ違う考えを持って生きているもので好き嫌いが出るのも当たり前です。
それでも集団で生活していれば、うまく付き合っていく必要があります。
だから嫌いな奴とも適当につきあっていく術を持つことが大事なのです。
我慢することも必要です。
食べ物にも「食わず嫌い」がある様に人間関係にもその人のことを良く知らなかったために好きになれなかった、なんてこともあると思います。
私自身、深く付き合ってその人のことを良く知るようになって、「意外にいい奴だな」って考え直したような経験もあります。
でも、その反対に決定的な理由はなくても「どうも好きになれない」人もいます。
好きとか嫌いとかって、理由なんてないんです。
どうしても、好きになれないのは生理的にダメなんで、
「理由がなく、人やモノを嫌いになるのはいけないこと」なんて、言われたら、
大げさに言ったら、「自分を否定」されているのに等しい、私はそんな風に考えています。
「嫌い」とか「気に入らない」というだけの理由で、ひどい言葉を浴びせたり、暴力をふるったり、仲間外れにしたり、そんなことをするのは許せない行為です。
もし、そのようなことをする子供がいるのなら大人はきちんといけないことだとして止めさせるべきだと思います。
ただ…、それでも…、
「その子を嫌いだということ」まで否定する権利は誰も持っていないと思います。
嫌いな子に対しても暴力をふるったりすることは許されないということをきちんと教えたり、嫌いな食べ物でもきちんと食べないと栄養が偏ってしまうから、それは贅沢だから、と我慢して食べなければいけないことをきちんと教えられる大人になりたいです。
それと同時に…、
もし誰かのことを嫌いになってしまっている自分に嫌悪感や罪悪感でも持っている人がいたら、「そんなの当たり前のことですよ、気にする必要ないですよ。」
って言える大人でもありたいと思います。
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