【リーマンショック下の決断 ~経理管理職の転職1~】 [私の転職活動]
私の転職の覚悟を強く維持してくれたもの…それは小学生の息子の流した大粒の涙でした…
会計事務所から一般企業の経理マンへの転職を果たした私は…
高くはありませんが安定した収入が確保でき、自宅を購入することもでき、通勤時間は10倍くらいになってしまいましたが、自由になる時間も持つことができ、家族とも過ごす時間が増えて、満足していました。
しかしながら、4回目の転職を決意する日が来てしまいました。
以前にもお伝えしましたが、私は「転職活動」は大好きですが、「転職」そのものは好きではありません。
それまでその会社で積み上げたものはリセットされ、新しい会社ではまた「新参者」として積み上げていくことは、それなりにエネルギーを使います。
そんな私に転職を決意させたのは、リーマンショックに伴う会社の経営状況の悪化が大きな原因です。
従業員の半分近くをリストラするという決断のプロセスに少なからずかかわっていましたので当然会社に残留すべき立場であることも考えていましたし、そのように詰め寄られもしましたが、会社の運営に不満を持っていた私は反対を唱え退職を決意しました。
そこでの話はいろいろなことがあってのことで詳細をお伝えしたいところですが、今回は私の転職活動についてのお話なので別の機会にしたいと思います。
ひとたび社外への「ドア」を開ければ暴風雨が吹き荒れている雇用環境であることは承知していましたので、私にとっては覚悟のいる選択でしたが、
「人生の決断において譲れないことを曲げてまで判断すると、ろくな結果にならない」
というのが、それまでの経験で強く感じていましたので転職を選択することは覚悟は必要でしたが迷いはありませんでした。
家族には会社の状況を伝えた上でリスクを承知での転職に理解をしてもらえました。
専業主婦だった妻はすぐに就職先を見つけて働き始めてくれました。
子供たちを2人呼び、
「今回転職することが我が家にとって非常に大きな岐路である。」
「失敗した時のリスクがとても大きく、失敗が許されない状況にある。」
「そのためにお母さんは協力してくれており、今までと違う生活環境になった。」
「だから、子供たち2人もお母さんに協力して欲しい。」
「ただし、この状況を長く続けるつもりはない。そのために最大限の努力をして、すぐに元の生活に戻すことを約束する。」
ということを伝えました。
まだ小学校低学年の息子は状況を良く理解できたとは思えませんでしたが、いつもはおどけた調子の父親が見せたこともないような神妙な様子で話していることから、
「なんだか大変なことになった」
ということは感じ取ってくれたようです。
私の目をじっと見て、話をまじめに聞いてくれました。
最後に二人に、
「協力してくれるか?」
と話しかけると、子供たちは無言で頷いてくれました。
息子は、無言で頷きながら大粒の涙をポロポロこぼしながら、無言で頷いてくれました…
「二度と子供にこんな深刻な涙だけはこぼさせない」
私は強く心に刻み、外は暴風雨が吹きすさぶなか、
転職への「ドア」を開いたのです。
4回目の転職活動では沢山の案件と取り組みました。
管理の必要性からデータもかなりきちんと整理して保存しており、現在のパソコンにもデータを引き継いでおりますので具体的な内容もお伝えできると思います。
「中高年」 「経理マン」 「管理職」 「不況時」
といった転職のカテゴリーの一つの事例として、ご活用頂ける人がひとりでも多くいらっしゃいましたら幸いに思っております。
次回は、時系列での活動内容をお伝えしようかと思います。
シリーズ
〔経理管理職の転職〕
〔経理管理職の転職〕
経理課長として勤務していた企業がリーマンショックの影響をもろに受け転職を余儀なくされ立ち向かった経理マンの転職の記録
〔15〕
人材紹介会社の担当者次第でうまくいかないこともある…
人材紹介会社の担当者次第でうまくいかないこともある…
確かに買い手市場のこの時期、求職者に主導権がないので大抵のことは飲みますが、これから入る会社の給料を「セリにかけられるような真似」をされて「はいそうですか」とホイホイ応えられません。
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