【私の仕事遍歴 〔会計事務所⇒企業経理マン〕編】 [私の転職活動]
今回は会計事務所のお仕事を少しご紹介します。
会計事務所、正確には税理士事務所は中小企業の企業会計のお手伝いや税務申告の代行、個人の確定申告の代行などをしています。
もう既にその業界から足を洗って10年近く経ってしまったので、私が勤めていた頃と状況が変わっているかもしれませんが…
特に私が辞める何年か前に導入された税理士法人の実情はよくわかりません…
私の勤務した事務所は所長(税理士)、所長の奥さん、外回り兼決算担当3名、内勤2名なんて感じでした。
外回りは法律や会計知識を持って仕事をし、内勤は事務作業(たとえば会計ソフトへの入力作業など)をするといった分業制でした。
毎月1回お客さんの会社を訪問し帳簿をチェックして(領収書や請求書と突き合わせをするのがメイン)、試算表が正しいかの確認をして間違っていれば指導します。
また、年に1回税務署への申告書を作成するために決算を行います。
私は多い時で25件くらいのお客さんを担当していました。
車で訪問するのですが営業日数22日程度で25件を毎月回るのは結構大変なことです。
お客さんのほうで帳簿がつけ終わらないと訪問しても意味がありませんので実質10日くらいで25件の訪問先を割り振らなければなりません。
訪問していない合間の時間で決算作業を多いときで月5件くらい行います。
それ以外に年末調整、法定調書、償却資産申告書、労働保険申告書などを作成していました。
また実質決算時の取締役会や株主総会を開催し議事録を作成したり各種変更登記のお手伝いをしたり会計ソフトのトラブル対応をしたり…
決算前には税金の試算をして税金対策を提示したり、管理会計データを作成して業績検討会を主催したり…
パソコンとプロジェクタを持ち込んで業績を説明して、利益ねん出の策を一緒に検討したり…
ホールを借り切ってセミナーを主催した時には講師をしたり…
生命保険、損害保険の代理店…
結構いろんなことをやりました。
本当に中小企業の皆さんは会計事務所を頼りにしていると思いましたので、それに応えるのは意気を感じるところではありました。
ただ本当にいろいろな知識や客あしらいのようなものを要求され、またとにかく時間がないなかで仕事してました。
所長が若いせいもあり、IT環境も整えていましたし、ISOの取得の責任者をやったりといろいろな経験をすることができました。
その反面、時間は捧げました。
今となってはやはり経験は代えがたいものなので失ったものも多かったのですが、いろんなことにチャレンジできたことは良かったと思っています。
ちなみに私のいた事務所は途中から歩合制になりました。
完全歩合ではなく基本給+歩合です。
お客さんからいただく顧問料報酬の10%が私たち外回り職員の取り分です。
この制度により私はある程度入所時から給料が上がりました。
でも労働集約型の業務内容ですから、ある意味時間を切り売りしていますので、いずれ頭打ちになります。
私はほぼいっぱいいっぱいになっていましたので、歩合のパーセンテージが上がらないともうそれ以上給料が上がらないことがわかっていました。
経営者から見れば合理的だとは思いましたが、働いている側からはモチベーションを奪います。
営業マンならやりようによって報酬を増やすことも可能でしょうが、労働もセットで引き受ける私たち職員には「時間」の限界があります。
これが私が退職する大きな理由でした。
確かに引き止められたときには「所長代理として待遇を良くする」などとも言って頂きましたが、税理士の資格もないのに番頭さんみたいなことはあまり気が進まないところもあり、企業での経理マンを目指すことにしました。
いろいろ経験できる面は確かに勉強になるのですが、しょせんは外からアドバイスするだけの仕事より企業の中に入って仕事がしたいということもありました。
精神的にもいっぱいいっぱいになっていましたので就職先も決めずに退職することにしました。
1か月くらいはゆっくりしようと思いました。
大学卒業してから本当に一時も息を抜けないほど走り続けてきたので、少し心を落ちつけようと思い、3ヶ月以内に仕事が見つかればいいやって感じで初めて「無職」を体験することになりました。
ハローワークでは失業保険の申請もしました。
この転職で初めて「前職の経験を生かした転職」を経験することになります。
そしてここから私が転職活動が大好きになる起点をなりました。
そう、私は「転職」という職業があったら「天職」にしたいくらい転職活動が好きなんです。
かみさんにも転職時のことを報告すると「なんか、生き生きしてるね」なんて言われてました。
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会計事務所、正確には税理士事務所は中小企業の企業会計のお手伝いや税務申告の代行、個人の確定申告の代行などをしています。
もう既にその業界から足を洗って10年近く経ってしまったので、私が勤めていた頃と状況が変わっているかもしれませんが…
特に私が辞める何年か前に導入された税理士法人の実情はよくわかりません…
私の勤務した事務所は所長(税理士)、所長の奥さん、外回り兼決算担当3名、内勤2名なんて感じでした。
外回りは法律や会計知識を持って仕事をし、内勤は事務作業(たとえば会計ソフトへの入力作業など)をするといった分業制でした。
毎月1回お客さんの会社を訪問し帳簿をチェックして(領収書や請求書と突き合わせをするのがメイン)、試算表が正しいかの確認をして間違っていれば指導します。
また、年に1回税務署への申告書を作成するために決算を行います。
私は多い時で25件くらいのお客さんを担当していました。
車で訪問するのですが営業日数22日程度で25件を毎月回るのは結構大変なことです。
お客さんのほうで帳簿がつけ終わらないと訪問しても意味がありませんので実質10日くらいで25件の訪問先を割り振らなければなりません。
訪問していない合間の時間で決算作業を多いときで月5件くらい行います。
それ以外に年末調整、法定調書、償却資産申告書、労働保険申告書などを作成していました。
また実質決算時の取締役会や株主総会を開催し議事録を作成したり各種変更登記のお手伝いをしたり会計ソフトのトラブル対応をしたり…
決算前には税金の試算をして税金対策を提示したり、管理会計データを作成して業績検討会を主催したり…
パソコンとプロジェクタを持ち込んで業績を説明して、利益ねん出の策を一緒に検討したり…
ホールを借り切ってセミナーを主催した時には講師をしたり…
生命保険、損害保険の代理店…
結構いろんなことをやりました。
本当に中小企業の皆さんは会計事務所を頼りにしていると思いましたので、それに応えるのは意気を感じるところではありました。
ただ本当にいろいろな知識や客あしらいのようなものを要求され、またとにかく時間がないなかで仕事してました。
所長が若いせいもあり、IT環境も整えていましたし、ISOの取得の責任者をやったりといろいろな経験をすることができました。
その反面、時間は捧げました。
今となってはやはり経験は代えがたいものなので失ったものも多かったのですが、いろんなことにチャレンジできたことは良かったと思っています。
ちなみに私のいた事務所は途中から歩合制になりました。
完全歩合ではなく基本給+歩合です。
お客さんからいただく顧問料報酬の10%が私たち外回り職員の取り分です。
この制度により私はある程度入所時から給料が上がりました。
でも労働集約型の業務内容ですから、ある意味時間を切り売りしていますので、いずれ頭打ちになります。
私はほぼいっぱいいっぱいになっていましたので、歩合のパーセンテージが上がらないともうそれ以上給料が上がらないことがわかっていました。
経営者から見れば合理的だとは思いましたが、働いている側からはモチベーションを奪います。
営業マンならやりようによって報酬を増やすことも可能でしょうが、労働もセットで引き受ける私たち職員には「時間」の限界があります。
これが私が退職する大きな理由でした。
確かに引き止められたときには「所長代理として待遇を良くする」などとも言って頂きましたが、税理士の資格もないのに番頭さんみたいなことはあまり気が進まないところもあり、企業での経理マンを目指すことにしました。
いろいろ経験できる面は確かに勉強になるのですが、しょせんは外からアドバイスするだけの仕事より企業の中に入って仕事がしたいということもありました。
精神的にもいっぱいいっぱいになっていましたので就職先も決めずに退職することにしました。
1か月くらいはゆっくりしようと思いました。
大学卒業してから本当に一時も息を抜けないほど走り続けてきたので、少し心を落ちつけようと思い、3ヶ月以内に仕事が見つかればいいやって感じで初めて「無職」を体験することになりました。
ハローワークでは失業保険の申請もしました。
この転職で初めて「前職の経験を生かした転職」を経験することになります。
そしてここから私が転職活動が大好きになる起点をなりました。
そう、私は「転職」という職業があったら「天職」にしたいくらい転職活動が好きなんです。
かみさんにも転職時のことを報告すると「なんか、生き生きしてるね」なんて言われてました。
シリーズ
〔経理管理職の転職〕
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