【日商簿記3級取得後に転職した営業マンが20年近く経ったらこうなった】 [会計・経理・税務]
旅行会社の営業マンだった私が簿記を勉強するきっかけ。それは…。
20代だった私が簿記の勉強を始めたのは義父、つまり妻のお父さんからのアドバイスによるものでした。旅行会社の営業マンに見切りをつけて転職を決意したはいいけど、「一体何を目指していいかわからず」途方に暮れていた私に義父が簿記を勧めてくれたんです。
義父には『将来は起業してみたい』なんて威勢のいいことを言っていたので、そのことを覚えていた義父がこんな風に話をしてくれました。
『 はるくん、将来事業を自分で興そうとするなら会計のことを知っておくのはとても大切だ。まずは簿記を勉強してみたらどうだい? 』
簿記なんて全く想像もしていなかったので「えっ?」って感じでしたが、企業家になりたい私にとって義父は自分で事業をしている最も身近な『先輩』でしたから、その『先輩の言葉』に素直に従ってみることにしました。
旅行会社の営業マンのまま、家族3人で楽しい家庭を維持していく自信がありませんでした…
とても好きな仕事ではありましたが、きっぱりと諦めることにしました。もちろん、とても悩みました。でも、私が不安に思っていては、とても家族をひっぱっていくことはできないって…
とても好きな仕事ではありましたが、きっぱりと諦めることにしました。もちろん、とても悩みました。でも、私が不安に思っていては、とても家族をひっぱっていくことはできないって…
簿記3級に取り組んでみて…
自分が簿記を勉強するなんて夢にも考えていなかったのですが…。思っていたよりも楽しかった、そんな感想です。
私にとっての簿記3級の問題を解くのは『パズルを解く』様な感覚がありました。
そうは言っても上の過去記事でもお伝えした通り、机で勉強する時間は取れなかったのでもっぱら勉強は通勤の電車の中でした。
疲れや眠気と闘いでしたので決して『ワクワクした』なんてわけではありませんでしたが、それでも思っていたほど退屈な勉強ではなかったということです。
営業マン時代はいつも経理のおばちゃんに叱られてばかりいた私が全くのずぶの素人で本屋で売っている参考書で始めた簿記3級の勉強、それが私の経理マン人生の始まりでした。
簿記から始まった私の経理マン人生は…
それまでこういった事務系のことが自分とはまったく正反対の世界だと思っていたのですが、簿記を勉強してみて「決してそんなこともない」って思えるようになったのです。簿記が自分ができない領域でもないな、とは感じたものの事務系の仕事は地味な感じで決して魅力的ではありませんでした。
しかしながら、当時の私の求めていたのは、生まれてくる家族とともに生きていくために『家族が食べていくことができる職業にありつく』ことでしたので、転職先の業種に悩んでいた私にとっては大いに選択肢として候補に上がってきたのです。
そして当時の私は『何もない自分の武器として価値ある資格が欲しい』と考えていたので、自然と『働きながら取得が出来そうな』税理士という資格にスポットライトが当たったのです。
税理士は私が目指す資格であり職業となり、当面の最大の目標となりました。
会計事務所で働きながら税理士の受験勉強
将来税理士として起業する場合には経理業務の実務経験が必要です。手っ取り早い方法として会計事務所に勤務することを思いつきました。とてもストレートな発想でそんなにいろいろなことを調べた結果の発想ではなかったのですが、運がいいことに簿記3級ホルダー以外に何の経験も無くても雇ってくれる事務所に出会えたのでした。
私は既に30歳になっていました。ほとんど貯金も無い中で初めての子供を授かり引っ越しもして新しい地での生活と新しい職場環境に死に物狂いで立ち向かっていきました。
今考えると本当に無我夢中でした。辛い思いも沢山しました。
でも「四の五の言ってはいられない」
そう言い聞かせて歯を食いしばりました。
会計士試験と違って、確かに1科目ずつ取得を積み重ねることができる税理士試験は働きながら取得するには向いている資格かもしれません。でもチャレンジしたことがある方はわかって頂けると思いますが、簡単には受からせてくれません。合否ライン上に受験生の大半がひしめき合う、文字通り競争試験です。
受からない…税理士試験に受からない…
そして何年か経ち、決して好条件とは言えない給料から始めたこの仕事もようやく旅行会社の営業マン時代よりも少しだけ多くの給料がもらえるようになりました。でも…。
目指していた税理士試験には、簿記1級、税理士試験2科目合格までゲットした後に次の科目を合格することが厳しい状況が続きました。
そして遂に目標としてきた税理士の資格取得を断念しました。
簿記3級を取得してから7年が経過していました。
営業マンならやりようによって報酬を増やすことも可能でしょうが、労働もセットで引き受ける私たち職員には「時間」の限界があります。これが私が退職する大きな理由でした。
「所長代理として待遇を良くする」などとも言って頂きましたが、税理士の資格もないのに番頭さんみたいなことはあまり気が進まず企業での経理マンを目指すことにしました。
「所長代理として待遇を良くする」などとも言って頂きましたが、税理士の資格もないのに番頭さんみたいなことはあまり気が進まず企業での経理マンを目指すことにしました。
企業の経理マンになってみて…
そしていよいよ企業の経理マンとしての職業人生が始まりました。起業の夢からは遠ざかる選択だったことは覚悟しましたが、この時の私もそんなことに構っている余裕はなかったと言えます。
常に「生きていくため」に必要な選択をしてきた、そんな感じです。
厳しい会計規則に則った会計処理が要求される上場企業でもなく、スピーディな経営指標の提出されるベンチャー企業でもなく、英語で報告を求められる外資系企業でもなく、緻密な計算を求められる工場会計を要する大規模製造業でもなかった私の就職先は比較的穏やかに経理ができる環境でした。
中小企業相手に培ってきた会計事務所職員としてのスキルでも十分通用する程度の経理の部署でした。
高度な知識を身に付けることはありませんでしたが、それまで積み重ねてきた知識や経験を『アウトプット』する機会を得ることが出来、私にとっては貴重な経験となりました。
また『ライン長』としての管理職経験を積む機会にも恵まれて経理マンとしてだけではなく社会人として異なるステージに上がることができたと思っています。
経理という仕事は早くからコンピューターが導入されシステム化しやすい業務ではありますが、業務フローは旧態依然とした企業も多く、業務効率化を推進する余地がまだまだ残っている部署とも言えます。
『聖域化』して部署外からの干渉を嫌がる傾向があるなかで、私は『古い慣習』を捨てることに躊躇が無いので『メスを入れたい』と思う側からは重宝がられたようです。
その後、縁あって違う職場に移りましたが、ポジションは前の職場を踏襲する様な側面があり、制約がある環境ではあるものの自分なり方法を試す場を与えられ、少しづつ業務の変革を進めてきました。
スピードを要求される企業だったら許されない程度のスピード感で進めてこられたのも私にとっては良かったかもしれません。
振り返って思うこと
なんだかんだで経理の世界に足を踏み入れて20年近くが過ぎました。振り返ってみて思うことは、自分の職業人生で20年前の選択が正しかったかどうかなんてわかりませんが、少なくとも家族を路頭に迷わせることなく過ごすことができたのは職業選択の影響もあったように思っています。
経理という仕事はどの会社にも絶対にある業務です。いくら機械化が進んでも自動化できるわけでもありません。
法律も絡んでいるため判断業務が必要ですし、分業されてもそれを統括する業務において専門性を発揮する場が残っていると思います。
そのためサラリーマンとして生き残るのには決して悪くない職種ではないかと思っています。
そして新たな展開?
私は現在、職場でちょっとした岐路に立っていると感じています。私の経理マンとしてのキャリアに新しい局面が加わるかもしれない、そんな感じでしょうか。
比較的、この何年かは、淡々と既存業務に励んできた側面が強かったので、新しいことが好きな私にとってはワクワクしても良いところですが、何だかそんな気持ちにならないなかで、この局面にどう向き合っていこうかな?なんて思っています。
『簿記を学んで決算書を読めるようになる』とはよく言われること。このことについて少し掘り下げて考えたいと思います。
ビジネスマンの必須スキルとまで表現されることのある簿記についてお伝えします。
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