【遊動円木(ゆうどうえんぼく)って知ってますか?】 [学問・学校]
近所の子と二人で小学校の校庭にある遊具で遊んでいた時です。
私は小さい頃から、『正規の遊び方ではない』遊びをするのが好きだったせいで、
いろいろと危ない思いをしたのですが、その時は、笑い話では済みませんでした。
『遊動円木』ってご存知でしょうか?『ゆうどうえんぼく』と読みます。
最近は危険な遊具は設置しない公園や学校が多いので知らない方も多いかもしれませんが、私の中ではブランコ、鉄棒、滑り台の次ぐらいに比較的ポピュラーな位置づけでした。
写真を見れば一目瞭然ですが、左右に揺らして遊ぶ、まぁ、言ってみれば、遊園地にある『バイキング』とか『フライングパイレーツ』の『手漕ぎ版』みたいなものです。
まぁ、バイキングのように回転はせずに左右に水平の揺れだけを楽しむものですが…。
とてもワクワク遊具だったのですが、『正規の遊び方』をしないとかなり危険な遊具でもありました。
私たちはこれを高速で限界の位置まず揺らして飛び乗るという遊び方をしていました。
その日は家のすぐ近くの親戚の家で法事があったのですが、抜け出して近所の子と二人で、その「ハイリスクハイリターン」な遊びに興じていました。
そこで、私がしくじりました。
飛び乗るときに『円木』と地面の間に足が挟まり、何度も引きずられる様に足が往復してしまったのです。
その学校にあったのは、下の写真の様に、座ると足を乗せる足かけを装備したタイプで、
その『足載せ』部分の間に足が挟まってしまったのです。
一緒に遊んでいた子は事故が起きただけでもびっくりなのに私が尋常じゃない泣き方をしたため、びっくりしてその場を立ち去ってしまいました。
無理もありません。
私より年上とは言え、まだ小学校の1年生くらいですから。
私は立てるような状態ではなく、泣きながら、大声で、
「助けてぇ!助けてぇ!」
って叫ぶしかありません。
運よく私の声を聞きつけて、近所の人が見に来てくれて助けてくれました。
そして、抱きかかえて『法事会場』まで連れてきてくれました。
そのあとのことは良く覚えていませんが、救急車で運ばれた初めての経験をすることになりました。
足首の上の骨がぽっきりと折れていました。
その夜手術することになりましたが、その時のことは今も良く覚えています。
どういう理由か知りませんが、手術前には「水を飲んではいけない」と言われて、のどがカラカラなのに水を飲ませてもらえず何度もねだって母親を困らせました。
上の写真の様な「吸い飲み」を指さして、「この線まででいいから飲ませて」なんて懇願したのを今も覚えています。
きっと母もつらかったろうと思います。
そしてこの後、初めての全身麻酔を経験しました。
ガスマスクみたいなのを口にあてがわれ看護婦さんに「10、数えてね」って言われて、数え終わる前にもう気持ちよく眠りにつきました。
目が覚めたらベッドの上って感じです。
幸い手術は無事に終わり、つま先からすねまで石膏のギプスをはめて過ごすことになりました。
1ヶ月くらい入院していたかと思います。
さて、この入院生活ですが、私にとっては悪くない生活ではありました。
⇒ 【私の入院生活の思い出 幼稚園児の縁台将棋】
3ヶ月か4ヶ月ぐらいで、無事完治することができました。
歩くのも普通にできるようになり、むしろ駆け足が速くなるくらいになっていたので、両親はさぞホッとしたのではないかと思います。
ただ、学校の遊動円木は私の事故以来、鎖をはずされ円木は地面に置かれた状態になり、やがて撤去されてしまいました。
遊動円木は「人気機種」でしたから、私のせいでみんなの楽しみを奪ってしまい申し訳ないことをしました。
また一緒に遊んでいた子もきっと多少なりとも心に傷を負ったことでしょう。
私はその後もその子と普通に遊んでいましたが、私の親はあまりその子を良く思わなくなりましたし…。
しかも当時の私は親の苦労なども知らず大した反省もせず、相変わらず、『正規の遊び方』じゃない方がワクワクするような子供のままでした。
本当にゴメンナサイ。<(_ _)>
私は小さい頃から、『正規の遊び方ではない』遊びをするのが好きだったせいで、
いろいろと危ない思いをしたのですが、その時は、笑い話では済みませんでした。
『遊動円木』ってご存知でしょうか?『ゆうどうえんぼく』と読みます。
最近は危険な遊具は設置しない公園や学校が多いので知らない方も多いかもしれませんが、私の中ではブランコ、鉄棒、滑り台の次ぐらいに比較的ポピュラーな位置づけでした。
写真を見れば一目瞭然ですが、左右に揺らして遊ぶ、まぁ、言ってみれば、遊園地にある『バイキング』とか『フライングパイレーツ』の『手漕ぎ版』みたいなものです。
まぁ、バイキングのように回転はせずに左右に水平の揺れだけを楽しむものですが…。
とてもワクワク遊具だったのですが、『正規の遊び方』をしないとかなり危険な遊具でもありました。
私たちはこれを高速で限界の位置まず揺らして飛び乗るという遊び方をしていました。
その日は家のすぐ近くの親戚の家で法事があったのですが、抜け出して近所の子と二人で、その「ハイリスクハイリターン」な遊びに興じていました。
そこで、私がしくじりました。
飛び乗るときに『円木』と地面の間に足が挟まり、何度も引きずられる様に足が往復してしまったのです。
その学校にあったのは、下の写真の様に、座ると足を乗せる足かけを装備したタイプで、
その『足載せ』部分の間に足が挟まってしまったのです。
一緒に遊んでいた子は事故が起きただけでもびっくりなのに私が尋常じゃない泣き方をしたため、びっくりしてその場を立ち去ってしまいました。
無理もありません。
私より年上とは言え、まだ小学校の1年生くらいですから。
私は立てるような状態ではなく、泣きながら、大声で、
「助けてぇ!助けてぇ!」
って叫ぶしかありません。
運よく私の声を聞きつけて、近所の人が見に来てくれて助けてくれました。
そして、抱きかかえて『法事会場』まで連れてきてくれました。
そのあとのことは良く覚えていませんが、救急車で運ばれた初めての経験をすることになりました。
足首の上の骨がぽっきりと折れていました。
その夜手術することになりましたが、その時のことは今も良く覚えています。
どういう理由か知りませんが、手術前には「水を飲んではいけない」と言われて、のどがカラカラなのに水を飲ませてもらえず何度もねだって母親を困らせました。
上の写真の様な「吸い飲み」を指さして、「この線まででいいから飲ませて」なんて懇願したのを今も覚えています。
きっと母もつらかったろうと思います。
そしてこの後、初めての全身麻酔を経験しました。
ガスマスクみたいなのを口にあてがわれ看護婦さんに「10、数えてね」って言われて、数え終わる前にもう気持ちよく眠りにつきました。
目が覚めたらベッドの上って感じです。
幸い手術は無事に終わり、つま先からすねまで石膏のギプスをはめて過ごすことになりました。
1ヶ月くらい入院していたかと思います。
さて、この入院生活ですが、私にとっては悪くない生活ではありました。
⇒ 【私の入院生活の思い出 幼稚園児の縁台将棋】
3ヶ月か4ヶ月ぐらいで、無事完治することができました。
歩くのも普通にできるようになり、むしろ駆け足が速くなるくらいになっていたので、両親はさぞホッとしたのではないかと思います。
ただ、学校の遊動円木は私の事故以来、鎖をはずされ円木は地面に置かれた状態になり、やがて撤去されてしまいました。
遊動円木は「人気機種」でしたから、私のせいでみんなの楽しみを奪ってしまい申し訳ないことをしました。
また一緒に遊んでいた子もきっと多少なりとも心に傷を負ったことでしょう。
私はその後もその子と普通に遊んでいましたが、私の親はあまりその子を良く思わなくなりましたし…。
しかも当時の私は親の苦労なども知らず大した反省もせず、相変わらず、『正規の遊び方』じゃない方がワクワクするような子供のままでした。
本当にゴメンナサイ。<(_ _)>
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私は一昨年、右手の舟状骨骨折をやってしまいましたが
それが生まれてはじめての骨折でした。
長男に自転車を買ってやり、それを引き取った
帰り道の下り坂で、自転車をひいていたため
バランスを崩して、一応手のひらで受身をとったのですが、
てのひらの骨はやわらかいので……。
ギプスを50日しましたが、ギプスの取替えがいやだったですね
電ノコのようなものでパカッとわるとき、
手にやけどのあとのようなものがつくんですよね。
これは医師の手技によるので、下手な医師だと大変です。
by いっぷく (2012-11-17 06:57)
いっぷくさん、こんばんは。
思わぬところで、骨折ってしてしまいますよね?50日もギプスをしなければならなかったとは不便だったでしょうね。電ノコ、怖いですよね?でもやけどの跡ってあまり記憶がないような…。技術的領域なんでしょうかね。ただ、以前外科手術の権威なんて人の手術風景をテレビで観ましたが、医者って器用じゃないと手術って厳しいよなって印象を強く感じました。
by はる (2012-11-18 01:01)